何をする気力もおきない。部屋で、ベッドの中にこもっている。今のところ、私が順当にしていることは呼吸だけだ。生きる気力がなくなった。私にとって、彼が全てだった。その全てである彼を失った。
好きだった、や、好き、では到底済まない。愛していたんだと思う。なのに、彼は消えてしまった。私の前から、忽然と姿を消してしまった。
それは突然だった。だんだん電話がかかってこなくなってきて、だんだん会う約束がキャンセルされるようになり、だんだん彼の姿が見えなくなってきた。たまらなくなって、彼の家の前で彼の帰りを待ち伏せていると、見知らぬ女の肩を抱いてアパートに帰ってくる彼が見えた。私はとっさに隠れた。
それで、全てを悟った。彼が遠くなっていった原因も、私の恋が終わったことも。
私は彼に連絡をとろうと努力することをやめ、たくさん泣いた。泣いて泣いて泣いて、涙が枯れるまで泣いて、彼のことを諦めた。いや、諦めようと、現在も努力しつづけている。
彼が消えたのが、一ヶ月前のことだ。私はまだ、立ち直れずにいる。
食欲は全くない。一日に一度か二度、死なない程度にコンビニで買ってきたおにぎりやパンをかじる。味はしない。本当は食べたくもない。無理に飲みこむ。
以前はよく見ていたテレビも見ない。むなしくなるからだ。洗濯も掃除も必要最小限。意欲が沸かない。大学もサボっている。同じ大学に通っていた彼。会いたくなかった。会わなくっても、気配を感じることだけでも嫌だったし、大学には彼との思い出がありすぎた。好きだった本も雑誌も読まない。心配している友達からかかってくる携帯にもほとんど出ない。とてもそんな気になれないのだ。動く気になれない。
よって、私は布団の中に巣を作って、その中でひっそり何とか最小限に生きている。
そんなある日、携帯が鳴った。どうせお節介な大学の友達だろうと思い着信を見てみると、中学の頃からの悪友、清水だった。本当に久しぶりに電話に出る気になった。ややこしい事情を知っている大学の女友達より、さっぱりした性格で、事情も全く知らない男友達の清水の方が、今は話す気になれると思ったのだ。
「もーしもーし」
「よ。元気でやってるか。」
「ううん。ちっとも元気じゃない。」
「元気じゃないって?どうしたのよ。失恋でもしたか?」
あっさり言い当てられた。くやしかった。
「失恋じゃ悪い?」
「悪くないよ」
そう言ってから、清水は突然声を小さくして、
「偶然だな、俺もなんだ」
と付け足した。私は驚いて、
「なんだ、あんたもか」
と、少し笑った。
「そういえば、電話するのも久しぶりだよな。二年くらいか?」
「そうだねー。もう軽くそのくらいになるよ。」
「俺の彼女がさ、女友達に電話やメールするの禁止する女だったからな。電話の一つもできなかったんだ」
「そっかー。口うるさい女と付き合ってたんだね」
「そうだったのかもな。」
こいつとの電話は気楽だった。気を遣う必要もないし、いいかっこして見せる必要も、強がる必要もない。言いたい放題言える。久しぶりの開放感を味わっていた。
「おまえは?どんな男と付き合ってたの?」
「…一口に言えない。」
「なんだかまだ引きずってそうな言い方だな」
「うん。そうかもしれない」
「俺もまだ引きずってるよ。どうだ、それを肴に今夜飲みに行かないか。」
「いいね。行こう。いつものあそこで語ろう。」
私は、清水と「いつものあそこ」と呼んでいる居酒屋で今夜待ち合わせをした。外出なんて、本当に久しぶりだった。たまにはこんなのも悪くない。清水となら、素直に話せるから、今回の恋の話をしてもいいような気がしていた。女友達には話してもわからないことも、清水ならわかってくれそうな気がしていた。清水は、男女の間を超えた親友だった。
「いつものあそこ」には、私のほうが先についた。私は、待ち合わせは絶対先に来る方だ。座るとお絞りが出てきて、いつも元気ななじみの店員が、
「いつもの?」
と聞いてくれた。
「うん」
と答えて、適当にみつくろって食べ物を注文する。私の「いつもの」は、焼酎の青りんごカルピス割りだ。
一杯目の「いつもの」を飲み終わった頃、清水はやってきた。私は一杯目を飲むペースが速いのだ。
「よう」
肩をたたきながら、陽気に隣に腰を下ろす清水。
こいつの「いつもの」は生ビールで、私の二杯目と改めて乾杯し、ここの看板メニューの焼鳥をぱくついた。
季節の話や天気の話をして、いよいよお互いの失恋の話になる。
「どうして別れたの?」
「ふられた」
「それじゃあわかんないよう。だから、どうしてふられたの。」
「わかんねえ。俺はすげえ好きだったんだけど、向こうにいつの間にか好きな人ができた」
「あ、私の場合ととおんなじだ。私も、向こうにいつの間にか好きな人ができちゃったんだ。」
「そうか、おまえもか。」
「同い年の彼でね、コマメにいつも電話したり会ったりしてたのに、別な女にとられちゃった」
「俺なんか彼女の家で半分一緒に暮らしてたんだぞ。半同棲ってやつだ。家事だって、炊事も洗濯も全部俺がしてやってたんだ。女友達禁止にも耐えてた。なのになんでふられたのかなあ。」
「なんでだろうね。私にもさっぱりわかんないよ」
「他の女にとられたって、修羅場とかあったの?」
「ないよ。遠くから見て逃げてきちゃった。」
「弱虫だな」
「仕方ないじゃない。そういうあんたはどうなのさ」
「俺はすごい修羅場だったよ。俺を置いてどっか行こうとする彼女に行かないでくれってすがってさ。彼女をとった男とも昔からの知りあいだったんだ。そいつに殴りかかった。」
「本当?信じられない。あんたがそんな乱暴なことするなんて。」
「きっとそれだけ好きだったんだろうなあ。」
私たちはお互いの「いつもの」をたくさん飲み、おいしい焼鳥をたくさん食べ、たくさん話した。話の内容は、全部終わった恋の切ない話だった。けど、私たちは、とても明るく、そしてとても客観的に自分の恋の話をした。
「清水はどのくらいの期間付き合ってたの?」
「二年くらいかな。おまえは?」
「私もそのくらいかな。二年弱くらい。最初はね、向こうに告白されて付き合い始めたんだよ。」
「ふーん」
「なのにふるなんてひどいよね。自分勝手よね。」
「そうかもな」
終わった恋の話を肴に、さんざん飲んだ。お互い、くだを巻くような無様なまねはしなかった。それだけ、お互いに慣れていた。お互いの前では、自分をなくさずに、冷静でいられた。清水は、本当にいい友達だ、と思った。
お互い、飲みすぎてお腹が一杯になってきてしまった。この後どうしようか、と私が言うと、清水は
「久しぶりに、俺の部屋に遊びに来ないか?」
と言った。
清水の部屋…。懐かしい遠い思い出がたくさんこみ上げてきた。
清水の部屋は、清水の実家の二階だ。一人息子の清水には広い部屋が与えられていて、そこは高校生の溜まり場になっていた。私も高校生の頃、よく夜中に、親の寝たあと家を抜け出して、清水の部屋に行った。そこにはもう悪友達が何人か集まっていて、こっそり覚えたてのタバコや、慣れないお酒を飲んだりしていた。他にも、あのころの清水はミュージシャンを目指していて、清水の部屋は自作の楽譜や作詞の紙が散乱し、ギターもころがっていた。一方私は作家を目指していて、詩も書いたので、清水の作詞と、よく議論を戦わせていた。ぐちゃぐちゃの男っぽい部屋で、そうやって私たちは高校時代を過ごした。
その部屋へ、何年か経った今、行こうというのだ。私は何だか楽しくなって、わくわくしてきた。
清水のバイクに二人乗りして、清水の家へ向かう。このぼろのバイクも、昔のままだ。風を受けて、清水の後ろへしがみついて走る。とっても気分がいい。お酒でちょっと火照った頬が風にさらされて気持ちいいのと、懐かしい清水の部屋への期待。
家の前にバイクを止めて、こっそり清水が家の鍵を開ける。先に入った清水に手招きされ、清水の部屋へそっと、清水の両親を起こさないように侵入する。
清水の部屋は、昔と変わらずぐちゃぐちゃだった。それが、とても嬉しかった。変わらない、清水の部屋。昔のままの顔の、、清水の部屋。
そこで私たちは、また終わった恋愛と、一般論としての恋愛を語り合った。
「終わらない恋愛ってあるのかな」
「世の中のことは全て変わっていく。恋愛もだ。その変化についていけなかったから、俺たちは失恋したんじゃないのかな」
「じゃあ、世の中が変わっていくのと一緒に、恋人との関係まで変わっていけばいいの?」
「多分そうだと思う。」
「そんなもんかな。とりあえず今は時間を戻したいよ。時間を戻して、彼とやり直したい」
「戻れない時間だから、余計に素晴らしかったように感じるんだよな。でも終わった時間なんて本当は意味がないはずなんだけどな。それでも今は戻れるもんなら俺も戻りたいよ」
「今考えれば私達、ずいぶん無防備に恋愛してたよね。だってこんなに傷つくくらいだもん。」
「そうだな。けど、慎重過ぎる恋愛なんて全然つまらないよ。おびえて何もできやしねえ。」
「けど私は今、傷つきすぎて何もできやしない状態だよ。同じことだね。」
「同じなら果敢に恋愛した方がいいだろ。俺たちは正しかったんだよ。」
「正しかったのに傷ついちゃったの?変なの。」
「恋愛なんてどっちみちどっちかが傷つくんだよ」
「そうかなあ、それは違うよ。どっちも傷つかない道があるはずだよ」
「じゃあおまえは双方傷つかない恋愛したことあるか?」
「あるよ。別れたけど結局いいお友達になれたんだ。わかれてもお互い今も仲良く連絡とってるよ」
「そうかー。それはすごいな。俺には想像もできねえ。」
「それにしても、どうしたら忘れられるんだろうね。」
「彼氏だった男のことか?」
「もちろん、当たり前じゃない。それ以外何があるの?」
「そんな方法、分かってたら俺も苦労しないよ」
「もうどんなに想ってても絶対ダメなのにね。」
「そうだな。ダメだってわかってても好きなんだもんな。仕方ないよな。」
「辛いね」
「うん」
私たちはため息をついた。
「恋愛なんて、私たちには難しすぎるのかなあ」
「俺たちだけじゃないさ。誰にだって難しいんだよ」
「学校みたいに、恋愛のペーパーテストがあったら、私たちの偏差値ってどのくらいかな」
「さあな。でも今だけ見たら最低ランクだぜきっと。」
ハア。今度は二人同時に、またため息をついた。そして、同時だったことに、お互い笑い合った。
雑然とした部屋を見まわす。
清水の彼女は、この部屋へ来たことがあるのだろうか。きっと、一度くらいは来たことがあるに違いない。そのとき、清水はきっと、一生懸命部屋を掃除したことだろう。そして、この部屋は、こんなに居心地のいい場所ではなく、余所行きの顔で、彼女を迎えたのだろう。私には、清水がふられた理由が何となくわかる気がしてきた。余所行きの顔をする部屋。答えはそこにある。清水がふられた理由が何となくわかったのと同時に、自分のふられた理由もわかる気がしてきた。それがわかっただけでも大きな収穫だ。
「そろそろ帰るよ」
満足した私は言った。清水は、当然快く送ってくれるものだと思っていたが、意外な反応をした。
「待てよ。まだいいだろ」
もう立ち上がっていた私は、意外なことを言う清水の顔を呆然と見つめる。やがて清水が立ち上がり、そっと私を抱きしめながらささやいた。
「一人にしないでくれ」
私は、息が止まった。産まれて初めて、清水を男と認識した。清水も同じだったらしく、ぎこちない手つきで私の髪をゆっくりなでながら、
「おまえも女だったんだな」
と言った。
私はやっと口を開く。
「辛いのはわかるけど離して。私に甘えてもダメだよ。私達、そんな間柄じゃないでしょう。お互いがんばろ。ね。」
清水は、そっと手を解いた。
あの夜以来、清水には一度も会っていない。とはいっても、もともとそんなにコマメに連絡をとるような間柄ではなかったから、不思議ではない。けれど連絡をとっていないのは意識的だった。たった一度の抱擁、それで初めてお互いがお互いを異性と意識してしまった。こんなの清水との関係じゃない。清水とはもっと、男女を超えたつながりのはずだった。
今清水に会ったら、どっちに転ぶかはわからないが、今までどおりの友達ではいられなくなる。
けれど、それに反して私の考えることは、不思議なほどあの抱擁のことばかりだった。思い出してはドキドキしていた。私はどうかしている。心がすっかり清水にとりつかれてしまったようだ。あの一瞬、私は確かに夢見ごこちだったのだ。すぐに、現実に戻ったけれど。
清水も同じなはずだ。長年友達をやっているのでよくわかる。わかってしまう。だけど、こんなことは、わからない方がきっと幸せなのだ。
実生活では、私は確実に立ち直っていっていた。大学に顔を出し、休んだ分のノートを借りてきて、写しながら勉強する。たまっていた洗濯をこなし、部屋をきれいに掃除して、食事もきちんと採るようになってきた。時間と清水が、失恋の傷を癒してくれていた。代わりに、清水には会えなくなった。今会ったら、今までと同じような友達でいられなくなってしまうから…。
その日、いつものあの店で一人で飲んでいた。すると、後ろで入り口のドアが開くがらがらという音がし、「いらっしゃーい」と店員が声をかけた。清水だった。清水は、一瞬迷ったようだが、何もなかったように私の隣に腰を下ろした。
「久しぶりだな」
「そうだね」
私は少し緊張していた。清水も同じではないかと思う。
「どうしてた?」
「別に何も。変わらない生活だよ」
「そうか。ならいいんだ」
お互いのいつものと、焼鳥で時間を埋めた。緊張して、あまり話せなかった。二人の間は、どうもぎこちなかった。
「この間のことなんだけど」
ドキッとするようなことを、清水は平気で言う。
「俺、後悔してないから。おまえが女でよかったと本気で思ってるから。」
私には、さっぱり言っていることの意味がわからなかった。だから、疑問の目で清水を見つめた。
「俺、おまえを女だと思ってるから。つまり、好きだから。」
言葉が一つも出なかった。戸惑いが大きかった。
私はいつものを飲み干して、早々に清水を置いて店を出た。
その夜久々に「はしご」をした。別な店で、陽気に飲んだ。
大体清水は都合が良すぎる。前の彼女と別れたばっかりで、まだ引きずってると言っておきながら私に好きだなんて。私だってまだ引きずっていることは十分承知のはずだ。ずるい。そう思った。そんなことを考えながら、たくさん飲んだ。久しぶりに、気持ち悪くなるまで飲んだ。
その後も普通の生活に戻った。大学に行き、講義を聴いて、食事を作り、食事を食べ、家事をこなした。しかし、その合間合間に、清水が入りこんできた。あの時の短い抱擁が、忘れられないのだ。どこにいても、何をしていても、時折ふと思い出して、私はものすごく乾きに似た感情を感じるのだ。あの時、なぜ私は彼に腕を解かせてしまったんだろう。あんなに居心地が良かったのに。後悔?そんなはずはないのだが、後悔としか言いようがない感情だった。テレビを見ていても、食器を洗っていても、清水のことを思い出さずにはいられない。その頻度はだんだん頻繁になってきて、私はまるで清水に恋する女の子のようだった。もしかして私は清水が好きなのだろうか…。そんな不安にもかられるようになってきた。どうしていいかは一向にわからない。
清水からは携帯に何度か着信が来ていた。でも、出なかった。出られなかった。
私のことを好きだと言った清水。失恋したばかりの清水。相変わらず、軽率なやつだ。私への気持ちというのは本物なんだろうか。それとも、ただの寂しさから来る、甘えなのか。
そんなことばかり考えて過ごした。自分で止められない渦のような思考の流れだ。
私は…私は、もしかしたら清水が好きなのかもしれない。でないと、こんなにも清水にとりつかれたりなんてするだろうか。それでも、清水からの電話にはまだ出られなかった。まだ、とまどいの方がずっとずっと大きいのだ。
失恋したばかりの私。まだ元彼を引きずっていたはずの私。今、こんなに清水に惹かれている。惹かれている?それは本当の感情なんだろうか。私は本当に清水が好きなんだろうか。ただ寂しくて、いいタイミングで自分を好きだと言ってくれた清水に甘えているだけなんじゃなんだろうか。
わからない…。何もかも、清水の気持ちも自分の気持ちもわからない。
清水のことを考えながら暮らした。どうしても忘れられなかった。だんだん生活がギクシャクしてきた。清水の声、一度だけの腕の感触、汚い懐かしい部屋。
会いたい…。清水に会いたい。
乾きに似たこの感情は、次第に形をとり始める。
この気持ちが愛情なのかどうかは自分でもわからない。でもたとえ違ってもいい。違っても何でも何だっていいから、清水に会いたい。
また、食欲が落ちてくる。清水が私を悩ませすぎるのだ。
相変わらず、清水からは時折着信がある。私はそろそろ限界だった。清水と話したい、声を聞きたいと言う衝動にかられて、携帯に出そうになる。
私は、音のなる携帯を握り締めながら、気づくと思わず通話ボタンを押していた。
「…もしもし」
「もしもし?!おまえやっと出てくれたな。心配してたんだぞ、今まで。」
「だって…。あんなこといわれたらとまどうよ。」
「俺のせいか?だったらごめん。でも悪いことしたとは思ってないぜ。本心を言っただけだ。」
「本心って…。まだ彼女だった人のこと、引きずってるんじゃなかったの?」
「それは引きずってるよ。でもおまえも好きだ」
「!なんかわがままじゃない?って言うかずるいよ。そんなの。」
「そんなことはないよ。俺は素直なだけだ。」
「…あんたは奔放でいいね」
「それって誉め言葉か?」
「わかんない。」
つかみどころのない会話。リラックスできるようでできない。心が緊張している。
「おまえは?俺のこと嫌いか?」
嫌いだなんてとんでもない。気になって気になってたまらなかったのだ。
「…嫌いじゃないよ。」
「微妙な言い方。でも好きじゃないってことか」
「わかんないよ、まだ。清水のことはずっと友達としてしか見てなかったわけだし、前の恋は引きずったままだし。自分でもわかんない。」
「なんだ。じゃあ、あっさり振られるわけではなさそうなんだな。」
「そんな言い方されてもぴんと来ないけど…」
「でもそうだろ。俺、待つよ。自分も前の恋愛忘れながら。俺も時間かかりそうだから。一緒に頑張ろうぜ。ゴールは近くにあるから。」
何も言えなかった。清水の言うゴールが、結構魅力的だったからかもしれない。
好き、という気持ちは何だろう。以前は、彼が全てだった。心から愛していた。その彼と、別れてそう日数も経っていない。けれど、今は清水のことが気になって仕方ない。これは、本当に好きという気持ちなのだろうか。こんなに安直でいいのだろうか。自分はどんな女なんだ、と疑問に思えるほどだ。
だけど、どんなに考えたって一つも答えは出ない。
私に今できること。ただ一つ、前に進むこと。それらは全て清水につながるような気がしてくる。
今度は、自分から清水に連絡を取った。
「どうしたんだ、おまえから連絡してくれるなんて。」
「会いたいの。」
「え?」
「だから、会いたいの。何度も言わせないでくれる?」
「急にそんなこというから。今まで携帯出てくれなかったし、避けられてるかと思ってたのに。まあいいや、俺の部屋来るか?」
「うん、行く。」
そう答えると、私はできるだけ急いで清水の家へ向かった。
夜中なので、清水の家の前までついたらワンコールする。すると、かちり、と玄関の鍵が開く音がして、清水が玄関まで迎えに来てくれる。また、清水の両親を起こさないように静かに2階へ上がる。清水の部屋へ入ってドアを閉めて、ふうっと息をついた。
「何度来ても部屋に入るまでは緊張するね。」
私は言った。
「親が寝てるからな。下は。」
まあ座れよ、と言われて、足の踏み場もない部屋の、そこだけ空いたベッドの上に腰掛ける。
「今日は急にどうしたんだ?」
清水が心配そうに私を見る。
「別に。ただ何となく。」
「やっと俺と付き合う気になってくれたのか?」
茶化しながら清水がそう言う。
「そうだね。そうかもしれない。」
私は素直にそう言う。
清水は明らかに面食らっているようだった。目を見開き、私を見ている。
「本当か?」
やっと口に出た、とでも言うように清水が言う。
「うん。」
肯定した。勇気を持って。自分に素直になるために。
清水が静かに近づいてきた。隣に座って、そっと私を抱きしめた。
「本当なんだな。」
もう一度、確認するように清水が言う。私は清水の腕の中でうなずく。そのままきつく抱き締められ、息ができなくなる。
腕がゆるめられ、見詰め合う。顎を軽く持ち上げられる。唇が軽く触れる。そして、激しく求め合うようにキスをする。
柔らかくベッドに押し倒される。部屋は、私達のため息で熱くなってゆく。
その夜、私は清水の部屋で朝を迎えた。清水の両親が、それぞれ働きに出るのをじっと待ってから、清水の部屋を出た。とても爽快な気分だった。よかった、これで一歩前に進めた。
翌日、清水とデートをした。清水のバイクの後ろにつかまって、自然の中の道をドライブした。昔から、清水のバイクの後ろにつかまって走るなんて、全然普通のことだった。でも、今は意味が違う。「彼女」として乗っている。不思議な気がしたが、悪い気分ではなかった。むしろ、少し嬉しかった。
山道の自動販売機の前で、ジュースを飲みながら話をした。
「俺の母さんがさ、お茶とか好きなんだけど」
「うん」
「玉露ってわかるだろ?煎茶のいいやつ。あれを好むわけね。」
「うん」
「あれってさ、熱いお湯で出すものじゃないんだって。湯冷ましってやつを使って、わざと熱湯を冷まして淹れるらしいんだわ。」
「うん」
「俺達も、そんなんでいいんじゃねえ?」
「え?」
「特別100度に熱くなくてもさ、少しぬるめでいいんじゃねえ?そっちの方が高級な恋愛なんだよ、きっと。」
私は清水の言葉に笑顔で返した。そうだな。その通りだ。私にはこの温度でいい。この温度が、いい。
玉露の温度で、私達は恋愛を始めた。恋はまだ、始まったばかりだ。
〜END
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