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倭寇与海盗


●倭寇のはじまり
 言うまでもなく「倭」は「日本人」の意、「寇」は賊・外敵の意。現代日本人にとっては、「倭寇」なるもののカテゴリーは、やはり明代の海賊を指すが、中国・朝鮮半島ではその昔は古墳時代から第二次世界大戦までも「倭寇」と言われてしまうのです。
 ここでは当然ながら、狭義で13〜16世紀の全盛期「倭寇」を言います。
 時代区分としては、14〜15世紀に朝鮮半島に繰り出して掠奪を繰返した前半期と、日明貿易を主たる目的としていた後期に分かれます。『東風五烈傳』では、勿論全盛期の最も華やかなりし(?)「嘉靖大倭寇」時期を中心に扱っています。物語の骨子ともなるからです。
 一説には、1369年洪武帝統治年間に山東半島に侵入した海賊が、中国での「倭寇」のはじまりとされていますが、『東風五烈傳』では、あえてそれよりも後の話としました。というのも、本格的に「倭寇」が明国に大打撃を与え始めるのはやはり嘉靖年間以降であるからです。

●倭寇の構成
 「倭寇」というからには、まるっきり日本人ばかりではないかと思うのですが、実はそうではありませんでした。
 特に国を追われた朝鮮人や、海岸付近に追い遣られていた高麗の被差別民が加わり(当時日本の被差別民よりもはるかに厳しい立場に置かれていた)、倭寇の一員となることも決して珍しい事ではなかったようです。或いは、末期になると、同じく中国国内でも海浜で賎業(姓によって差別されていた)に従事させられていた人々が、やはり「倭寇」に加わったのです。
 やがてマゼランの世界一周航海(1516年)が成功を収めるなど、ヨーロッパの大航海時代の到来によって、ポルトガルやオランダの船が東アジア海に進出するようになると、中国は彼等までも「倭寇」とまとめて呼ぶようになりました。
 海から上陸してくる外敵は、すべて「倭寇」だったのです。
 つまり「倭寇」は、単なる「海賊行為」というだけでなく、歴史的にも発生せざるを得ない過程を経て生まれたものだったわけですね。

●海盗とは
 こちらはもともと「倭寇」の対抗勢力といっていい中国側の海を根城とする盗賊団。明国と密貿易を行う過程で大きくなっていった「倭寇」は、北虜(主に満州族)の台頭などによって弱体化していった官軍ともやりあうほどになり、明国を脅かしていきました。
 やがて「海盗」もそれにつれて「倭寇」と連合して、勢力拡大を図って行きました。
 九州は平戸を拠点とする王直などは、海盗の最たるもので、数千人と言う部下を従え、堂々と官軍と渡り合った記録が残っています(『明書』乱賊傳・王直など)。
 
●倭寇の沈静化
 大猛威を振るった「倭寇」でしたが、やがて豊臣政権が確立し、統制強化されてしまう、あるいは明の官軍の成功によって次第に縮小されていきました。
 しかし、最大の理由は「海禁令」の廃止にあったと思われます。自由貿易がかなうとなれば、最早、海賊行為は必要でなくなったわけですね。
 余談ですが、日本はその後に朝鮮出兵など「倭寇」どころではない侵略戦争を大陸に持ち込んでしまう結果になるのは、歴史の皮肉というべきでしょうか。

●参考文献
『倭寇〜海の歴史』田中健夫/教育社
『中世倭人伝』村井章介/岩波書店
『倭寇』石原道博/吉川弘文館
『倭寇史考』呼子丈太朗/新人物往来社
『中国海盗史』鄭広南/華東理工大学出版社
『明史』(標点本)/中華書局
『明会要』(標点本)/中華書局  他。



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