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  小雲龍・鄭舜永

(1)

 前回までの章にて、《両風侠》の人となりはお分かり頂けたかと思う。
 さて、件の戴志麟はといえば、杭州の温国亮邸に寝起きしていた。一方高輝鴻の方はというと――。
 東天目山に程近い湖の畔(ほとり)で釣りをしていた。暢気に釣り糸を垂れ、昼寝しているか起きていてもぶらぶらと其処らを散策するに過ぎなかった。仕事を放棄して茫漠と過ごしているのは、性に合わないのだが。
 東天目山は杭州の約百里程の所にある。常人には移動に辛い距離だが、輝鴻には一日で楽に進める程の距離であった。
 周囲は至って閑かな山水の風景である。木立の間からひよどりが無き、天空高く鳶が舞っていた。湖面は静寂そのものであった。
「骨休めには持ってこいの場所だな。色気はてんで無いが」
 ふと上半身を起こすと、竿から垂れた釣り糸が小刻みに引かれていた。此処に来て二日目で漸く獲物が掛かったらしい。
 慌てて竿を振るい、引き揚げようとしたが、その時ぷつりと糸が切れて仕舞った。
「畜生!ふとい魚児(ヤツ)だ」
 輝鴻は、腹立ち紛れに竿を湖に投げ捨てた。
 その時、背後でくすりと囁くような笑い声が聞こえた。
「誰何(だれだ)?」
 輝鴻は周囲を見渡した。腹が減っていて、苛々している。すると、木の茂みから少年が顔を覗かせているのだった。十六、七歳の旅装をした少年である。大きな黒い瞳が愛くるしく、何処と無く昔の戴志麟を思わせる雰囲気があった。しかし、此方の方が随分と華奢で利発そうだった。
「大哥(おにーさん)、釣りをやったこと無いの?」
 少年は高い声で小鳥のように言った。人懐こく、あどけない笑顔だ。背丈は輝鴻よりも頭一つ以上小さく、至って細身だ。
「見りゃ判るだろ。得意そうに見えるかい?」
 輝鴻は少し不機嫌そうに肩を竦めてみせた。少年は、輝鴻の漢人離れした顔立ちを見て、首を横に振った。
「正直な孩子(ガキ)め」
「僕が釣ってあげようか?何を釣る心算(つもり)だったの?」
「鯉魚」
 少年は、ぷっと吹き出した。
「こんな山の中の池に鯉魚なんているもんか!草魚か雷魚だよ」
「…どうせ、端から退屈しのぎだ。どうでもいい」
 輝鴻は悔し紛れに、鼻を鳴らした。少年に完全に馬鹿にされて少々気分が悪い。だが、その癖真底立腹する程の事ではないと知りつつ。
「じゃあ癇癪を起こさなくてもいいのに。嗚呼、あんなに竿が流されて」
 少年は湖面を見遣った。輝鴻は暫く少年の残念そうな横顔を見詰めていたが、やがて木陰に置いてあった弓矢を提げて森を離れて歩き出した。
「何処へ行くの?長い弓だね」
「狩りをするんだ。孩児(ガキ)には関係無い。暇なら勝手に釣りでもしていろ」
 輝鴻は、別段怒るでも無視するでもなく、少年に応えてから藪を分け入って行った。
 腰ほどまである尖った萱草を静かに進むと、輝鴻は矢を二本つがえた。木々の間を野雉が飛び立つ瞬間、矢は流星の如く孤を描いて放たれた。二本の矢は中途で分かれ、其々が雉の首を射抜いた。
 果たして、輝鴻が湖辺に戻ると、先刻の少年がいた。見ると、釣り上げた草魚を焚き火に焼かせていた。
 少年は振り返ると、輝鴻に向かって屈託の無い笑みを見せた。晧(しろ)い歯が綺麗な笑顔だった。
「見たよ。飛ぶ雉を射落としたんでしょ。神業だね」
 輝鴻は、焚き火の前に腰を下ろした。
「私にとっては魚釣りの方が神業に思えるがな」

(2)に続く
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