第捌章 青風・戴志麟
(4)
邱覚仁という男は、二人の少年を代わる代わる見詰めた。
「あの、オレは単なる付き添いだから関係ないよ」
と、輝鴻は言った。邱覚仁は、少年の言葉など聞いてはいないようだった。眼差しは至って柔和だが、隙の無い所作である。見事な顎鬚が袷の胸元まで垂れていた。
輝鴻は立ち上がって帰ろうとした。
「まあ待ちなさい。お前は今日から志麟の兄弟子だ」
「ええ?」
少年二人は目を見合わせた。こうして《両風侠》の修行が始まったのである。
志麟にとっては、目新しい事ばかりで最初は辛くも会ったが楽しかった。しかし、無理に青郎山の堂室に引き留められた輝鴻はおかんむりであった。
「お前、そんなことして何が楽しいんだよ」
堂室の丸窓を一生懸命磨いている志麟に向かって、輝鴻は言った。志麟は大きな瞳を動かして、兄弟子の不貞腐れた表情を見た。
「楽しいってこともないけど、家じゃこんな事したことなかったもん」
当然、世家の子が下男・下女のような仕事はしない。ひたすら四書五経を読み、撃剣の形を習うのだ。
師匠と弟子の三人の生活が始まって数日が過ぎた。身の回りの事は自分でやらねばならないが、炊事や水汲みは当番制である。邱覚仁は炊事を彼等二人に任せ、志麟が三回に対して輝鴻は一回とした。水汲みは専ら志麟の仕事である。輝鴻には弓の腕を使って狩猟をさせておいた。
志麟は、朝は暗いうちから谷間に水を汲みに行き、朝餉の支度をし、掃除をすると昼の用意をした。片づけが終わると書を読み、基本的な運動をしてまた軽い夕餉の支度である。終わると師匠の茶の時間があったが、それは輝鴻に任されていた。あっという間に就寝時間がやって来る。
言うなれば、陽がのぼれば朝で、陽が沈めば夜なのだから。
「輝鴻はいいよなぁ。好きなだけ弓を使えて狩が出来る」
「まぁな。しかし、山中での歩射は、騎射ほど思うようにいかない」
「ふうん。僕は何時になったら剣を握れるんだろうか」
さぁ、と輝鴻は言った。少年は、獲ってきたばかりの野兎の毛皮を剥いでいた。獣をさばくのは輝鴻の仕事だが、手馴れたものである。比較的、この兄弟子は自由が多かった。しかし、書を読む時間と茶の時間だけはきっちりと決められていて、否でもそれをこなさなければ一日が終わらないのだった。暇があると、出鱈目に歌をうたい、琴や琵琶を奏でる。
「私は聖人君子を育てるつもりはないのだ。武人としての修養を見に着けて欲しいだけだ」
邱覚仁がそう言ったのを、志麟は覚えている。
従って、志麟の教育方針はその理にかなっていた。志麟は世俗の事に疎いゆえ、雑用をさせれらていて、輝鴻は学問を知らないので教授されているのだ。
こうして八、九年も似たような生活が続いた。その間に輝鴻の祖父が亡くなったり、志麟の父が亡くなったりというような事があって、必ずしも平々凡々たる毎日ではなかったが。
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