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  青風・戴志麟

(3)

 さて、年も明けた元宵節の頃であった。
 高輝鴻は父と共に外出した。
 正月十五日夜の燃灯行事を元宵節という。元宵張灯が盛んとなるのは唐代である。郭利貞という唐の文人は、この模様を「九陌灯影を連ね、千門月華に度(したが)う。傾城宝騎を出し、そう路香車を転ず」と、うたっている。各門戸に連なる灯火、見物人で賑わう街路、宮女たちもこの日ばかりは禁裏を出て観灯したという。
 成都の街も灯火見物で人が一杯だった。
 街路では歌舞百戯が行われている。
「そこな御仁、ちょいと待たれい」
 声を掛けられて戴父子は、慌てて踵を返した。振り向くと、年の頃は八十歳かと思われる老人が路傍に座っていた。身形はみすぼらしい旅装だ。
 だが、驚いたのは、その衣服にではない。老人の顔色だった。
 酸梅湯(スゥアンメイタン)に入れる梅干しのような顔色で、のっぺりとした平面的な顔だった。水棲の妖物を思わせる容貌が、人間離れしていたからだ。
「その子はそなたの御子息か?」
「ええ。遅くに授かりまして、今年十歳になります」
 老人は旅の道士(道教の術者)のようにも思われた。
「稀に見る貴相だ」
 と、老人は手を打った。
「二岐眉は、稀なる武星の相。この子は天下に名だたる武人となるに違いない!」
 父子は顔を見合わせた。
「正月早々これはめでたい事を聞きましたな」
 戴尚奇は、そう破顔して銭の入った袋を取り出すと、老人に差し出した。老人は強く首を横に振って、拒否した。
「私は占者ではない。この様ななりをしているのも、仮の姿なのじゃ。受け取れんよ」
「しかし、気持ちだけですので」
「悪いが、官人(やくにん)の金は頂けないよ。出所が確かでないからな…。なに、そなたの所為ではないから気にせずともよい。この子はきっと立派な武人になる。が、しかし―」
「が、しかし?」
 戴尚奇は訊き返した。老人は、やや言いよどんでいる。
「直ちに家を出されるとよい。今のまま御子息を置かれると、先々問題が置きますぞ。例えば、そなたがいわれの無い弾劾を受けて左遷されるとか、お孫さんが夭折するとか」
「ややっ。それは困ったな。何とすればよいのでしょうか?御老大」
 戴尚奇は老人の顔を覗き込んだ。老人のぎょろりとした眼が見開かれた。
「今から私の言う通りになさい」
 老人が言ったのは、こういうことである。
 成都府から二百里(明代の一里は約0.5q)西北の所に青郎山がある。馬爾康に近い場所である。そこに邱覚仁(ヤウ ゴッヤン)というすぐれた武人がいる。その武人に弟子入りさせよ、ということなのだった。
「邱覚仁というと、もしやあの順天派と呼ばれた武林高手では?」
 是矣(そうだ)、と老人は答えた。
「しかし、今は弟子を取らないと聞いてます」
「いや、邱覚仁は後継者を一人欲しているとか。それには条件がある。条件さえ呑めば、男だろうと女だろうと弟子になれるのだ」
「何ですか?それは」
 老人は志麟の方を、ちらと見遣ると戴尚奇に耳打ちした。
 ややあって、戴尚奇は息子の怪訝な顔に向き合うと、老人と見比べた。
「どうも有難うございました」
 戴尚奇は恭しく礼を告げて、その場を立ち去ったのだった。
 様々の音楽を奏でる舞隊が、老人の前を通り過ぎて行く。彼等は夜を徹して蛇の如く延々と街を練り歩くのだった。舞隊の間から、一際軽やかに横切ってきた少年の姿があった。
 高輝鴻である。
 少年は「琉璃灯」と呼ばれる琉璃(ガラス)を嵌め込んだ美しい手灯を提げていた。
「話が違うようだが?」
 老人は眉を上げた。
「おぬしの言う通りにしたぞ」
「だから、話が違うようだと。誰が邱覚仁だとかいうジジイの所へ修行に出せ、なんて言ったよ?」
 輝鴻は、老人の前に仁王立ちになり腕組みした。
「オレは、アイツを家から出すだけでいい良いって言ったんだが」
「あの武官、息子を外へ出すかね?」
「勿論」
 と、輝鴻は答えた。
「志麟は義兄にいじめられている。父親も感付いている筈だ。このままだとろくな事にはならないからな。ヤツにとってはその方がいい」
 輝鴻は灯火を眺めた。
 老人は、行列を眺めながら溜息を吐いた。
 この老人の事は、輝鴻自身も殆ど知らない。つい先刻路傍で出会ったばかり、先見の明があるというので試しに志麟を見てくれ、と言っただけだ。
 すると、こうなった。
「朝廷に仕えるような器量ではないことは確かだ。それに、何やらそなたとは因縁が浅からぬようだのう」
 ちぇ、と輝鴻は舌打ちした。
 厄介事にならねばいいのだが、と思うものの老人の言うことが当たっていても一向に問題ない、という気分でもあった。


(4)に続く
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