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  青風・戴志麟

(2)

 成都の街に芙蓉の花が咲き始めた。秋の始まりである。
 といっても、成都という街は夏さほど暑くも無く、冬の寒さが厳しいという訳でもない。「常春の都」と呼ばれているように、温暖な土地である。
 五代の時代、後蜀の君主であった孟ショウは、町中に芙蓉を植えるように命じた。以来、秋が到来して芙蓉の花が満開になると、赤と白のコントラストも美しく、華やかに都中が彩られる。1986年には成都市の花として芙蓉が選ばれた。
 志麟は、奴婢もつけないで一人街中を歩いていた。旅芸人の一座が棚(ホウ)という芝居小屋で新しい催し物をしていた。路上は商人や車が賑わしく行き交っている。
 闘鶏が行われていた。
 闘鶏の歴史は古いが、漢代頃に行われていたのは宮中での遊びだけだった。庶民に浸透したのは、そう昔の事ではない。
 志麟が覗き込むと、真っ黒で光沢のある羽の鶏と、茶地に白い斑の入った羽の鶏が闘っていた。
「あの嘴で目を突付かれたら大変だなぁ」
 と、志麟は思った。その時肩を叩かれた。
「お前も賭けるか?」
 声を掛けたのは、背の高い胡人の少年だった。志麟は少し驚いて首を竦めた。少年は自分より四、五歳は年上に見えた。もう普通の大人の背丈は充分に越えている。それに、垢抜けた感じで端整な顔立ちをしていた。手足が骨ばって長くなければ、女の子と言っても通用したかもしれない。
「賭けるのか賭けないのか、って訊いてんだよ」
「あ、あんまりもってないんですけど」
 志麟は少年に気圧されて、懐を探った。銀子が二個出て来た。
「充分だよ。お前金持ちだな。一個でいいよ」
 有無を言わせず、少年は志麟の掌から銀子を取り、人垣を割って入って行った。
「どっちに賭けるか訊いてないよ!ねえ!」
 少年は、既に輪のいちばん奥にいる。志麟は仕方なく小さな身体を割り込ませて、人垣に潜り込んだ。
 次の試合が間も無く始まるらしい。
 胡人の少年は、茶地に白斑の鶏を抱えていた。どうやら先程の鶏は、この少年の物だったようである。鶏冠は血の様に赤く、尖った鋭い嘴が光って精悍。少年は、ちらりと志麟を目の端で認めると、自信ありげに笑った。
 勝負が始まった。
 相手の鶏は、灰色の羽に漆黒の尾を垂らした美しい鶏である。闘鶏は蹴爪が発達しており、飛翔して敵を傷付ける。元々は野鶏が自己防衛の為に要していたのだが、この頃になるとかなり品種改良されていた。
 「加油(ガーヤウ/がんばれ)!加油!」の掛け声が飛び交う。皆、それぞれの掛け金が心配だ。志麟は、金のことより初めて目の当たりにする勝負の行方が気掛かりだった。
 優勢なのは、灰色の鶏のほうだ。少年の鶏は先刻の一戦の疲労もあってか、満身創痍で劣勢に甘んじている。少年はまんじりともせずに、鶏の様子を伺っていたが、やがて小刀を取り出すと、自分の鶏の喉下を目掛けて投げた。刃先は喉の赤い肉を少し裂いて地面に刺さった。
 赤い血が飛び散り、人々がわっとなった。少年が勝負を投げたのかと思ったのだが、そうではなかった。
 茶地の鶏は一声高く鳴くと、灰色の鶏に飛び掛った。闘志を掻き立てられたようである。見る見る鶏冠を赤く立てて、怒っている。
 志麟は少年の顔を見た。少年は、涼しい顔で目前の光景を見ていた。
 結果は少年の勝ちに終わった。
「どうもありがとよ」
 と、少年は志麟の手に先程の銀子と銅銭を渡した。
「貰えません」
「賭けに勝って金を受け取らないヤツも妙だな」
「銀子だけは返して下さい。失くすと叱られます」
 判ったよ、と少年は銀だけを残して懐に入れようとした。
「君、幾つ?」
 志麟は少年に向かって言った。
「十二だ」
「儲けた金をどうするの?」
 少年は、訊かれて口許を綻ばせた。にやり、と笑う。
「遊ぶんだ。妓楼へ行って、綺麗なねえちゃん達とさ」
 志麟はぎょっとなった。
「子供のクセにそんな事…」
「お前も子供だろ?十二で女を抱いちゃ不可(いけない)のかい?天子様はオレらより若い自分から女を知ってるぞ」
 志麟は口を噤んだ。少年の口達者には敵わない。少年は、傷付いた鶏を抱え上げ、指の腹で傷をいたわるように撫でてやった。
「今晩はお前にもご馳走だぞ」
 少年の手の中にいる鶏は、先刻とは打って変わって従順だった。
「お前、武人の子供だな。世間知らずだし」
 少年は、志麟に向かって言った。
「オレは見ての通りの流浪人だ。高輝鴻っていう。漢人じゃないが、高姓といっても高麗人じゃない。本姓はザルカーンとかいう西方の人間だ。曽祖父が弓馬の名人だったんで、漢音に近いのと、唐の高都護にちなんで付けたらしい」
 高都護というのは高仙芝のことである。玄宗時代の名将で、安西都護として知られる。美男子で、射芸に秀でた武人だったという。
「オレも騎射ではそこらの都督にはひけをとらん」
 高輝鴻は、自信に満ちた口調で言った。成都でのこの邂逅が、後に二人を抜き差しならぬ関係に導くのだった。

(3)に続く
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