第七章 海商・謝克基
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「京師では北虜のために騒擾(そうじょう)されているとか」
謝克基は言った。
「それも時間の問題ではあった」
と、馬沖儀は頷いた。窪んだ目が伏目勝ちになった。
「彼等の要求は『馬市』だ。大同に馬市を開けというのだが、我々からすれば、金を棄てるようなものだよ」
「馬を売るのが財源ですからね。我々が鉱石を扱っているのと同じで」
謝克基は、唇に不敵な笑みを浮かべた。が、馬沖儀は特に気に留めたようでもなかった。
明国が入貢を行っていたのは海を隔てた国々ばかりではない。むしろ陸を通じての交易の方が、重要な意味を持つ。一世紀ほど前に、オイラートのエセン汗が英宗を捕らえた「土木の変」は歴史的にあまりにも有名である。それ以来、明国は北方民族の勢力に脅かされ続けてきたのである。タタール・オイラートの朝貢も、日本の場合と同じである。多大な出費を削減しようとして入貢を拒否したために、明国は侵攻を受けた。
馬を買わねば、彼等は幾度も侵攻を繰り返す。かといって受け入れれば受け入れたで、無駄金を使うことになるのだ。
「初めは名馬も多かった。北方産の駿馬は貴重なものだったからだ。しかし、今頃は然程馬を必要をせぬから、入貢の度に数が増えて困るのだ。そのうえ駄馬も多くなった。使節の数もだ。やむを得ず停止すれば、この有様だ」
謝克基は宦官の嘆息を聞いた。その眼差しには、多少この海商への皮肉も含まれていた。
貢市を停止しなくても、問題を起こす連中もいる。とでもいいたげな表情だった。連中とは倭国の人間であり、それに係わる海商をも含んでいる。
確かに明朝はいま、北から南から外方の侵入を受けてへとへとになっている。浙江市舶司は実質閉鎖されていたが、それにかかずらっている余裕はない。何と言っても深刻なのは、塞外民族との関係であった。
「馬市は開かれるのでしょうか?」
「一時的には止むを得ないだろう」
ちなみに、この翌年(1551)大同・宣府に馬市は開かれるのだが、それも直ぐに廃止される。アルタン汗はその後もしばしば直隷に侵攻するのである。
ところで、と馬沖儀は言った。
「貴殿の口から双嶼(そうしょ)やュ港(しんこう)の様相を聞かせてくれ」
「是(はい)」
双嶼は舟山列島の最南端の島である。銭塘江への入り口淡水門の周囲には、大小さまざまの島々が浮かんでいた。孝順洋という湾があって、象山に向かって入り込んだ湾の手前にその小さな島はあった。謝克基は度々象山に入港していたので、この辺りの海には詳しい。
「双嶼はもともと漁民の出入りする島ですが、近頃は漁船ばかりではありません。海賊の船が碇泊していることもあって、迂闊には近寄れなくなっているようです」
「貴殿は何処からそうした情報を入手するのか?」
は、と謝克基は言葉に詰まった。
「あまり大きな声では申し上げにくいのですが」
馬沖儀の反応を伺いながら、謝克基は続けた。
「我が配下には、被差別集団に属していた者がおります。その者の耳に入った情報に頼るところは、少なくありません」
「成る程」
被差別集団とは「九姓漁戸」と呼ばれる浙江沿海の漁民である。九姓は「陳・銭・林・李・袁・葉・何」の姓を持つ人民であり、明の太祖・朱元璋に敵対した一派の配下達であるといわれる。彼等は、科挙を受けることも出来ない。国家の保護を被らない人民が、私貿易の一団に加わるのも必然の成り行きだった。
「ときに太監」
謝克基は声を高くした。
「お耳にお入れしたい事がございます。人払いをお願いしたいのですが」
馬沖儀は手で若い監生たちに退出の合図をした。二名の監生が音も無く出て行くと、謝克基は襟を正した。
「ご無礼をお赦し下さい。何分、私は在下の卑夫ゆえ、お気に触るかと思われますが」
謝克基は声を低くした。
「太監は、まことに自宮なされたのですか?」
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