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 市舶司廃止

(2)

 潘卓は、あまり飲みたくもない酒を飲みながら、ふと部屋の隅に座っている男に目をやった。
「あの男は確か、昼間高公子(コウさん)と一緒にいた…」
 白馬に乗っていた若者である。精悍で、やや少年ぽさを残した端麗な面差しが、潘卓の方を向いた。慌てて、卓は視線を逸らした。
「高公子の相棒だ、おっかないヤツか、さもなきゃ変人に決まってる」
 戴志麟の方は、挙人にそう思われているなど考えもしない。立ち上がって、ぶらりと房間を出た。
 することもないので、見廻りがてら、邸内を歩いてみようなどと思い立ったのである。
「高大哥ときたら、いったい何処をほっつき歩いてんでしょうかね」
 高輝鴻は、客舎にも戻っていない様子である。かといって、温公邸に呼ぶという訳にもいかない。何しろ、この間の一件で面が割れているからだ。
 月夜である。
 雲がゆっくりと流れてきた。
 志麟は顔を上げた。音も無く、塀の上に人影が下り立った。
「声は上げないほうがいいわよ」
 黒ずくめの衣装の人物は、鄭何聲だった。志麟は《斬風剣》の柄を指で弾いた。が、しかし手を掛けただけで剣を抜くことはしなかった。鞘と自分の手首に光る鋼糸が見えたからだ。
「動くと手首がなくなるわ。それは鋼を鍛えた糸で出来ている。この間の只の糸とは訳が違う、ってことよ」
 何聲は、口許の黒い覆布を押し下げて言った。
「へえ。さすがは鄭家勇のご息女、というべきでしょうかね。女にしておくのは勿体無いですよ、その腕」
「高輝鴻から聞いたのね。貴方の相棒なら、《水仙楼》っていう妓楼にいたわよ」
 何聲は言った。
「まだそこにいるのですか?」
「知らないわ。そういえば、無頼者風の背の高い男が訊ねてきたけれども」
 志麟は、女侠客の凛々しい面差しを見詰めた。
「私が訊きたいのは、何故貴方たちが官憲の手先になって動いているのか、ってこと」
 何聲は、鋼糸を指先で弾いた。その振動が志麟の腕にびりびりと伝わった。
「君に教える義務はありません」
 志麟は、あっさりと答えた。
「ならば、その右腕を頂くわ」
「ホントにおっかない女(ひと)ですねぇ。早まるのはよしにして下さい。実のところ、我々にも判らないんですよ!」
 志麟は、少々焦った。この女なら、本当に物も言わない腕の一本や二本はもぎ取るのではないかと思われたからだ。
「どういう意味かしら?」
「我々に依頼が来たのは二月ほど前の話です。応天府で。杭州へ来たら用件を話す、と言われてやって来たんですよ。それで賜った仕事が何かと言えば、只の『人探し』だったってのが事実」
「人探し?」
「ええ。孩子(こども)を一人。このくらいの白珠と青珠を持った十五、六歳の男の子を探せ、と。何でも、珠には龍の彫刻が施してあるようです」
 志麟は、左手の人差し指と親指とで輪を作って示した。
 何聲の鋼糸を操る手が緩んだ。
 右手を下ろし、何聲は暫く考え事にでも耽る様に押し黙っていた。その間に、志麟は鋼糸を払い落とした。
「君こそ、何だって倭寇の手引きなんかしてるんです?この前の襲来だって、何百人っていう無関係な百姓(みんかんじん)たちが被害を蒙ったんです」
「自分で身を守る術を知らない者は、そうなる運命なのよ。運命には逆らえやしないわ。貴方だって、そうやって来たんでしょう?それに、満更一般人も無関係というわけではないのよ。開けた街に住めばこそ、それなりの恩恵を被っているのだから」
 志麟は《斬風剣》を抜いた。青白い刀身が闇に浮かび上がった。何聲は、構える間も無く剣先を突き付けられて、緊張に身を焼いた。
「悪ぶって、そんな事言うもんじゃありません」
 志麟の口から出て来たのは、怒号では無かった。何聲の眼前にいるのは、やや遠慮がちで、しかも悲しそうな目の剣士であって、とても凄腕の剣客には見えなかった。
「はぁ?」
 何聲は、唖然とした。
「いっぱしの悪党ぶっても、悪いが君にはその素質はありませんよ。ふふ」
 志麟は、笑った。何聲は更に呆れた。気でも違ったのか、と疑ったくらいだ。
「貴方にそんな事が判るの?」
「判ります。高大哥が教えてくれました。君がどうしようもない悪女なら、高大哥はきっと例の術でも使って骨抜きにし、身包み剥いで棄てていたでしょうし、只のか弱い美女ならば今頃高大哥にべったりだ。どうです?君はそのどちらでもない。まして悪党なんかじゃない」
 志麟の自信たっぷりの弁舌に、思わず何聲は笑ってしまった。
「あつかましいわ。そんな事言うなんて。本当に、あつかましさだけは二人ともよく似てるわね」
 だが、何聲は込み上げてくる可笑しさを止められなかった。白い貌からは、既に敵意は失せていた。

(3)に続く
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