第伍章 神箭手・高飛鴻
(1)
門前で武官達に迎えられ、二人の乗った馬が邸内に入った。高輝鴻も流石に居住まいを正している。しかし、涼しい顔して武官の顔に唾を吐き掛けないとも限らないな、と志麟は兄弟子の様子を伺っていた。官憲の人間達に混じって、邸内に一塊の私兵があった。彼等は武官の一人に案内されて進んで行く二人の若者を目で追っていた。
いま一人の男に、戴志麟は視線を遣った。
「何者か…?」
年は四十、いやもう少し超えているだろうか。高輝鴻以上に長身の偉丈夫だ。私兵の諸々は農民上がりに毛が生えた程度の腕と想像出来るが、その男はあらゆる意味で他の人間を圧倒していた。
左目を覆う眼帯、面長の顔には積年の労苦が滲み出ている。
―潘卓は、後にこの男の容貌を鷹視(ようし)と称している。男は二人の若者をうち眺めて呟いた。
「随分と多くの人間の血を吸って重そうだな…」
持ち主の横顔と見比べる。実に不釣合いだ。漢人の若者は黒々した結髪を冠に仕舞い、前髪を垂らして瑞々しい目鼻立ち。美しいと言って過言ではない。
驚くべきことに、眉毛が二岐(ふたまた)に分かれている。男は、まじまじと志麟の顔を観察した。
「二岐眉とは、稀に見る貴相」
その声は低く通る声だったが、志麟本人には聞こえていなかった。僅かに、後方を行く高輝鴻が振り返った時、男は既に二人に背を向けていた。
どうぞ、と武官が扉を開けた。黒い両開きの扉が音を立て、二人は促されるままに歩み入った。
「罷りこしましてございます、霍提督」
戴志麟、高輝鴻の二人は同時に言った。
「ようこそ、私が霍希錦だ」
向かって右側の男が言った。烏紗帽(うしゃぼう)を被り、虎豹を刺繍した官服を見に着けていた。堂々たる髭が口許にたくわえられていた。精悍な面差しは五十手前と見えた。
輝鴻は一瞬、眸を泳がせた。霍希錦に気後れしたのではない。提督の隣にいる男に驚いたのである。その男には髭が無く、もう五十の境は越していると思われるものの、若年の頃の美男子ぶりを覗かせる容貌であった。尖った鼻と窪んだ目は漢人のものではない。
「こちらは馬沖儀(マー チョンイー)太監だ」
馬沖儀は、二人の若者を見た。そして、また視線を他所へと遣った。
「わざわざ人を杭州まで呼んでおいて、仕事は孩子(こども)一人を捕まえろ、だなんてどういう了見なんでしょう?」
志麟はそう言って、兄弟子の顔を見上げた。周囲を見渡して声は抑えている。幸い、邸の中とはいえ、数間四方には人はいない様子だ。
「五千両が手に入ると思えば、お安い御用じゃないか」
「何の手掛かりも無しに、只十六歳の孩子を探せって、無理難題としか言い様がないんですけどねっ」
「お前のいう事は正しい、弟弟子よ。ま、しかし請負ったものは仕方ない」
輝鴻は軽い返事だ。
「いいえ!それもこれも貴方が前金を総て使ってしまうからでしょうが!返せば何て事はなかったんですって。そういや、まだ何に使ったか聞いてませんねぇ」
「そうだったか?」
空とぼける輝鴻の顔を、志麟は睥睨した。
「一月以内に見つけりゃいいんだろ?何とかなるって」
「な、何てお気楽なんですか!」
志麟は我が冠を押さえた。弟弟子が困惑する様を見るのがこの上なく愉しいかのように、輝鴻はにやにやと笑った。
「まずは杭州中の孩子を一人一人あたってみるかな?」
そういって輝鴻は足早に回廊を、元来たように歩いて行ってしまった。志麟はまんじりともしない気分で、首を傾げた。
「心境の変化か、恋煩いってことはないでしょう。ま、いずれにしても気色悪いことには変わりないですねぇ」
考え込む志麟の前に、長い影が落ちた。
「相棒は先にお帰りかな?」
志麟は顔を上げた。だが、上げたまま声を出せなかった。目の前一寸先には、青い光りを放つ幅広の刀(タオ)が迫っていたからだった。
(2)に続く
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