第肆章 海嘯濂濂
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先日、ベツ子門で倭寇の襲来があったことは、杭州でも話題になっていた。この小規模な倭寇のことは史書には記載されていない。否、記載してはならない事実だったのである。倭寇とは大概日本人の海賊である、と歴史の時間ではそう教えてくれる筈だが、日本人ばかりが初めから海賊だったわけではない。嘉靖年間の倭寇とは、実は日本に本拠を置く中国人の武装商人集団だったのである。
『明史』には「倭は漢人を恃(たの)みて耳口と為し、漢人は倭を以って爪牙と為す」と記されている。国境無く人々が動いていたのは、海上だけではない。大陸においてでもある。
特に浙江地方では都市化が進んだ。都市化は産業の繁栄を生み、繁栄は金銀を生む。生まれた金銀はさらに富裕な階級を作り出す。
こうして、繁栄する都市の商業力が衰退しつつある農村に流入すると、また農村も変容する。都市の空気に触れた有力者が外へ向かえばまた、一般の農民も流出する。一旗上げよう、というやつである。
しかし、近郊から城内へ流れ込んだ大勢が必ずしも繁栄に与ることが出来るとは限らない。正業に就けず、かといってもとの村に戻るわけにもいかず、所謂『無頼者』となる人々が生まれるのである。この傾向は、本編の数十年先、萬歴年間にはピークに達する。
彼等は果たして、一体何をして食っていくのかというと、同類者が集まって有力な商人や官吏の私兵となったり、手先として働くのである。いわば、今日の広東近辺における黒社会(ハクセーウィ)の原型でもある。
杭州にも、無論こうした連中は増加しつつあった。
念の為、弁明しておくが、《両風侠》は、単なる無頼の徒ではない。農民上がりの無頼者と彼等との大きな違いは、学識の有無と「武林」という組織に属することである。
都市では就業するのにも、識字・計算の能力が必要、あるいは技芸を持たざる者は正業には就けなかったりする。こうした準備の無い者が無頼漢になるのであって、戴志麟、高輝鴻ともに『四書五経』(四書/大学・中庸・論語・孟子、五経/易経・書経もしくは尚書・詩経・礼記・春秋)、あるいは『孫子』(戦国時代・孫ピンの兵法書)を読むほどの学はあった。
従って、朝廷から直に要請があったとしても別段不思議は無かったのだ。
一応の教養がある武人として認められている、ということなのだ。
白と栗毛の馬が追いつ追われつしながら、門に沿って歩んでいた。白馬に乗っているのが戴志麟、栗毛馬に乗っているのが高輝鴻。
両人の服装のコントラストが鮮やかで美しい。
志麟は紺青の袍に黒い蝉冠(シースルーの冠)、緋の披肩巾を長々と靡かせていた。輝鴻は白い袷の下に詰襟の胡服を着て黒い茅の日除けがついた笠を目深に被っていた。
二人が向かうのは城の東南にある浙江都指揮使司・霍希錦の邸であった。
「高公子(コウさん)!」
と、路側から叫んだ者がいた。挙人・潘卓である。相変わらず、人が好さそうな顔をしている。
「これは潘挙人、御機嫌うるわしゅう」
輝鴻は馬上からにっこりと笑容(ほほえ)んだ。
「とんでもない、許しませんよ。この間のことは!」
「何のことだっけ?」
「何処行くんですか、高公子!」
「霍希錦の処だ」
えっ、と卓は口を開いた。
「官人は嫌いなんじゃなかったっけ?」
卓は馬上の二人を見詰めながら呟いた。志麟がそっと卓を振り返る。
「何やったんですか?高大哥」
「慈善事業さ」
やがて、霍希錦の邸が見えて来た。
第伍章(1)に続く
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