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一夜茸(ひとよたけ)

 清滝(注:1)が路辻に一軒の庵あり。庵に住みし僧都の名を慧巌(えがん)という。その昔、東福寺塔頭(注:2)の延蔵院にて管長を勤めるも、心悩むことあってついに逼塞す。やがて二十年(はたとせ)余りになりけり。
 
 今宵は十六夜。望月のやや欠けてかたぶきたる様が、窈窕たる女御が風情に見ゆる。
 広小路(注:3)が通りの東(ひんがし)にあばら家は立っていた。土塀の傾く様は、まるで鬼神の住処に見え、柑子の木実が触れなばおちん風情でたわわに実っている。
 門が開いていなければ、さぞ幾年もすぐしたもうた鬼婆でも住んでいるのかという有様。慧巌は仰天した。
「ややっ。これがかの橘
三郎美次(よしつぐ)どのの住まいかや?」
 
治部大輔(じぶのすけ)ともあろう殿上人には相応しからぬ、と慧巌は訝った。さては、たばかられたか。
 ぼう、と門の隙間から灯りが漏れた。慧巌は、恐れ慄いて覚えず提灯を取り落とすところであった。その手をなよやかな女の白手が止める。
「もうし、慧巌さまに御座いますか?」
「如何にも。して、そなたは」
 女は瓜実顔を傾けた。切れ長の涼やかな目が細まる。
「露子と申しまする。美次様が最前からお待ち申しております。ささ、此方へ」
 慧巌は露子の言うよう屋敷に入った。不思議な女性(にょしょう)だと思いながら、慧巌は露子の優美な立居振舞や色香に只者ならぬ気配を思うた。宮仕えの女も恥じ入る程ではなかろうか。
「これは慧巌禅師。如何なされましたかな?」
 板敷きの上に銚子と徳利を載せ、蝉の羽根にも似たる唐土(もろこし)の扇をうち煽ぐ公達の姿。立烏帽子に白い狩衣。夜目にも鮮やかな緋の袷。京でも斯様な彩に負けぬ男子はこの人しかおらぬと言われた橘三郎美次。
「斯様な十六夜の麗しい夜に、御顔の色がすぐれませぬと見受けましたが」

「然様。流石は治部大輔どの。じつは面妖な事がありましての・・・」

 慧巌は、青々と剃り上げた頭に汗を掻きながら、訥々と語り始めた。

 三月ほど先の話に
なろうか。月夜の晩だった。慧巌は誦経を終え、草庵の周りを歩いておった。ふと見ると、今朝方雑草を取った辺りに小さな茸(くさびら)がにょっきり生えている。大方、風に胞子が飛ばされ、夕立の後で俄に育ったものだろうと、慧巌は放って置いた。
 明くる朝、目覚めて庵を出ると、慧巌は仰天した。
 何と昨晩の茸が草庵ほどの見上げるような高さに伸び切っていたのである。
「こ、これは奇怪なり。もしや慧巌が修行の足りぬのを、狐狸の類、はたまた魑魅魍魎が嘲笑うての仕業か?」
 果たして慧巌、辻向かいに住まう樵夫に頼みて茸を切る。その日の内は茸は二度と生えて来なかった。
 一夜明けて、またしても茸はぬくぬくと庵を追い越して生えておった。
「またしても。斯様な事が二晩も続けて起こるとは、これは狐狸以外に為せる者はおらぬ」
 と、息巻いて今度は清滝が峠の狸・狢を狩るように村々に呼び掛けた。
 だが、茸を切り倒して三日目の朝もまるで同じ場所に、新たな茸はにょっきりと生えておった。
「・・・と、斯様な事が続いておりまする」
「ほう」
 美次は、はたと扇を掌で打った。雅やかな振る舞いが慧巌の胸を穿つ。傾けた清酒が猪口に溢れんばかりになるまで、美次は口を付けなかった。

「されば拙僧とて伝法灌頂(注:4)を多少なりとも兼得した身ゆえ、調伏せんと試みましたぞ」
 慧巌は両の手指を組み、数珠を擦り合わせる。
「ナウボ・バギャパティ・タレイロキャ・ハラチビシシュタヤ・ボダヤ・バギャバティ。タニャタオン・ビシュダヤ・ビシュダヤ・サマサマサンマンタ・ババシャ・・・・」
「ああれ。おやめなさって下さいまし」
 露子が身を伏せ、消え入りそうな声で言った。単の裾が乱れ、白い足指が震える。美次は慧巌の眼前に指を立てた。違えにした人差指と中の指。
「お人が悪いですぞ、慧巌どの。それはよりにもよって『仏頂尊勝陀羅尼』(注:5)。かの玉藻前調伏に安倍泰親(注:6)らが使うた咒(じゅ)ではありませぬか。露子にはちとつらかろう」
「すまなんだ露子どの」
 露子は既に掻き消えていた。こんもりと単が残されたまま。
「さて、慧巌どの。私にはその奇怪なる茸の正体が掴めましたぞ」
 扇を振るった美次は、静かに笑んだ。
 
 庭先に白い狐が二つの耳を揃えて構えていた。
「お帰りになられましたか?慧巌僧都どのは」
 露子は声を殺して言った。美次は頷く。
「のう。茸は湿った所を好むものだ。斯様に慧巌も修行を積まれた禅僧と雖も一人の男であるぞ」
「何を仰いますやら、美次様」
「昔、何某の聖という喝食坊主に会うた時、その何某が褌(こしき)に茸が生えておったのを見つけた。小さな茸ではあったが」
「まあ」
 露子は耳を動かした。美次は清酒を傾けつつ、物語る。
『何故か?』と問うと『こは儂(わし)が生精(せい)より生えし茸ぞ。故に童がごと思えて、無闇に摘み取れぬ』と」
 はははは、と美次は大笑した。
「忌々しき業に御座ります」
慧巌どのは庵結びし頃、まだ私よりも若うておられた。幾ら僧とて男というものは・・・。毎晩精(き)を出して棄てておったのが、茸(注:7)の生えた処だとはのう」
「存じませぬわ」
 けん、と一鳴きして白い狐は庭から消えた。美次は、十六夜月を仰いだ。まことに秋の艶めいた月夜のこと。

 

 

  
(終)

注:
1清滝:京都市右京区嵯峨清滝、清滝峠は亀岡市に抜ける山道。清滝トンネルは心霊スポットとして地元では有名。
2東福寺:臨済宗東福寺(京都市東山区)。聖一国師円爾(えんに)を祖とする。
3広小路:京都御所東の広小路通。
伝法灌頂:密教系の修行法。東福寺は禅宗であるが、真言、天台の要素も取り入れた兼修に始まっている。
仏頂尊勝陀羅尼:『仏頂尊勝陀羅尼経』に出典がある陀羅尼で、禅宗のみならず密教系でも使われている。亡者廻向などに無量の功徳があるといわれる。
6安倍泰親:陰陽師。安倍晴明の子孫。元永三年(1120年)清涼殿に祈壇を設け霊鏡を手にすると、玉藻前の正体が金毛九尾狐であることを看破したという。
7茸(くさびら):狂言に毎晩切っても切っても生えてくる巨大な『茸』の話が出てくる。それをヒントに書いたが、些か尾篭な話にて御免。

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