DIAVOLOS
〜十二夜〜
第2夜 寒夜
(4)
遺跡調査。後山、という言葉にユマは胸騒ぎを覚えた。
うしろやま。『後山』という漢字は想像に難くなかったが、不思議にも何となく直ぐに頭の中に地理的位置がが思い浮かんだ。そう高くないことも。
何だろう、このむずむずした胸の蟠りは。
「ところがどっこいさっぱりや」
五代は右手を上げて肩を竦めるポーズを取った。
「古びた神社と石棺はあるが、調査は一向に進んでへん。センセは年度末で科研の予算切れ。今年度改めて調査の筈やったが、他の仕事が入ってほっぽらかしだと。何もないんや」
「死に掛けたってのは、何なのよ」
「地震があったんや、地震。地割れでもするかと思うた。ホンマ、いややで。五十がらみのオッサンと二人きり山ン中で死にたないわー」
はぁ、と溜息を吐きながら五代は頭を掻いた。
「―せやせや。それで、ケイはその調査には同行しとらんかったか、と思うてな」
「まだ二年よ。今年もだけどね。実習には行ってない筈だわ」
「そうか。…おおきに、また来るわ」
そう言って、五代は個人研究室を出た。
「―食えない男よ。私の言動から、何かを掴んだと見えるわ」
ユマはハンドルを少し左に切った。ウインカーを出し、車線変更してサービスエリアに入る気だ。如何にも米国で免許をとったな、とツトムは思った。基本的に乱暴な運転だ。
「でも、旧い恋人同士のように見えなくもなかったな」
「五代と私が?アハハ」
ユマは声を立てて、ケラケラと笑った。童女のようなあどけない表情を見て、ツトムは思わず頬が緩むのを、襟で隠した。
五代に関する話の遣り取りを終えた後、ユマは徐にツトムに向かって行った。
「今晩付き合って貰える?」
「……オレが?」
「やあね。勿論、仕事の話よ」
「まさか、その後山に登ろうってんじゃ」
ユマは首を振った。
「ケイの所よ」
断る理由もない。他ならぬ依頼人の言うことだから、ツトムは承諾した。日課が終わるまで待って貰うということで。
千里のサービスエリアに入った。駐車場に止まっている車の多くは貨物トラックという時間帯だ。今時分、しかも平日に中国自動車道を西に向かっている乗用車は少ない。
ツトムはVWゴルフVR6から降りて、自販機コーナーへ歩いて行くユマの後姿を見遣った。車中では吸えなかったタバコに早速火を点ける。
「漸く口を開く気になったか…」
ブルーメタリックの車体に凭れながら、ツトムは独りごちた。
ユマの口から五代の話とケイという名前が出た時、初めて思った。
「五代には勿論、私が事件の調査をしているなんて、一言も洩らしてないわ。引っ掻き回されたくないから」
ユマは車に乗り込む前に、そう言った。
「何で引っ掻き回されたくないのか、…答えなくていい。キミの弟さんに関わることだからだろう?」
「確信はないわ。でも、何だかこの事件じはあの子が絡んでいるように思える。それ以外に動機なんてないわ」
ユマはやや沈鬱な面持ちで答えた。
「そう言ってくれよ。最初から。言わなかったら、オレはキミに協力する気なんてないと考えていたからな」
ツトムはぼんやりとタバコの煙を燻らせながら、自身の言った言葉を思い返し、探っていた。風は冷たい。コートの裾を割って、無理矢理忍び込んでくる。
見上げると、凍った白い肌の月が笑いかけてきた。風に押し流される灰色の雲のヴェールを身に纏いながら。
月齢十七。欠けてゆく月。
ややって、ユマが小走りに戻って来た。缶コーヒーを胸の所に二つ抱えていた。
「中で吸ってもいいのに」
ユマは、缶コーヒーの無糖のほうをツトムに差し出した。
「密室ではあまり吸わないように。何処へ行ってもそうなんだ」
ツトムは車に凭れたまま、缶コーヒーのプルトップを引いた。
少し離れた位置で、ユマが駐車場を見回していた。さすがに寒いと見えて、肩を震わせている。白い頬に解れ毛のような細く長い髪が掛かり、更に白い喉と鎖骨の上に落ちている。対照的に、寒さの所為で固く引き結ばれた唇の乾いた赤さが目立った。奇妙な艶かしさを感じて、ツトムは視線を逸らした。
「寒いわ。行きましょう」
ツトムはその言葉に従って、助手席に滑り込んだ。
中国自動車道を豊中インターで下り、国道176号線を北上する。阪急宝塚線に沿って173号線に入り、猪名川に突き当たる所が、関西文科大学だ。
緑の多い住宅地だ。
マンション・グランデュール・姫室は、大学の南方向に位置していた。VWゴルフVR6が、駐車場に入った。三百万円を下らない外車が駐車されていても違和感のない建物の外見であうr。
果たして本人がいるかどうか、ユマは建物の周囲を少し歩て観察した。灯りが点っているかという確認の後、ユマはツトムを呼んでマンション内部に入った。
「電気はついていないわ。寝てるのかもしれないけど」
携帯電話にも一切連絡を入れていない。行くと判ると、逃げられる可能性があった。
エレヴェーターに乗る。住人の出入りは今のところ、全く無い。
ドアが閉まると、ユマは素早く七階のボタンを押した。車中に比べて、より密室度が高まると、ツトムはさりげなく箱の隅に逃れた。息苦しく、我慢を強いられる数秒間。女性の体臭を感じるのに罪悪感はないが、居心地が悪いものだった。
チン、と音がした。扉が開いた。
「710号室。突き当たりの部屋よ」
廊下は静まり返っていた。エレヴェーターを出て真っ直ぐ歩く。
「あら…」
驚いたのは、ユマだった。710号室の前に誰か立っている。
白のロングコートに、パープルのパンツ。今時の女子大生っぽいスタイルだ。
女の子は外はねにスタイリングしたボブカットの髪を触りながら、ドアの前で躊躇していた。ユマは、ずかずかと歩み寄る。
「真宮ケイに御用?私、ケイの姉なんだけど」
姉、という言葉を聞いて女の子は、一瞬ほっとしたような表情を見せた。だが、まだどぎまぎしている様子だった。
「あ。お姉さんですか?あたし、ケイ君の同級生です。…斯波(しば)ナツミって言います」
そう、とユマは余裕ありげな教官風の口調になって答えた。背はユマのほうがやや小さくて華奢だが、ナツミと並んでみるとやはりユマは女子大生ではない。くびれ切った足首といい、細いウエストといい、何処か女っぽいのだ。
「レポートの事伝えに来たんです。ケイ君、試験にも出てなかったから」
「試験ていつの?」
「え、と…。十二月七日の。でも、その四五日前から大学には来てなかったみたいなんです。電話もしたんですけど、留守電になってて」
ユマはツトムと顔を見合わせた。
「バイトが忙しいにしても、あんまり音沙汰ないんで心配になって見に来たんです」
ナツミは大きな瞳を曇らせた。
「あの子にもこうして心配してくれるガールフレンドがいるんだってことだけでも、マシだわ…ところで、バイトって何してんのか知ってる?」
ユマの質問に、ナツミはえっ、と目を見開いた。
「あ、ごめんね。私放れて暮らしてるもんだから。あの子が最近どうしてるか、よく知らないのよ」
「あたしも詳しいことは…。塾の講師とかみたいですけど。開進ゼミっていう関西圏では中堅どころの」
ナツミの態度は、あまり柔らかくない。何処かまだ警戒心を持っているように伺えた。
「知ってる?」
ユマハツトムに話を振った。一般人の振りをしろ、という合図だろう。
「あ、塾のこと?さぁね。京都ではあったかな」
ツトムは、コートのポケットに両手を突っ込んだまま手持ち無沙汰そうに答えた。ナツミは、ユマの後にいる長身の男をチラ、と見て顔を背けた。男前の部類だが、何処か怖気をふるうような感じがしたので、目を合わせたくない。
「ごめんない。ケイ君いないようだから、私帰ります」
ナツミはそう言うと、コートの裾を翻してエレヴェーターの方へ小走りに去って行った。
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