DIAVOLOS
〜十二夜〜
第2夜 寒夜
(1)
白い壁に囲まれた教会の敷地内に、ひときわ目立つ高木があった。
門から入ってすぐ前庭の西側の樅の木だ。言うまでもなくこの樅の木は、例年冬のこの季節になると大役を任される。
陽は落ちていた。礼拝堂の内部と門灯の明かりのみが仄かに樅の木を照らす中、ツトムは梯子の上で作業していた。
先刻からコードの長さが、樅の木の枝振りと合わないので、
今一つ上手い飾り付けが出来ない。
「枝を切っちゃいましょうか?」
ツトムは下にいるボスコザーレに問い掛けた。
「おいおいそりゃまずいよ。他の飾りつけも落とす気かい?コードが足りんなら、その辺で置いとこう」
「バランスが悪いけど、いいのかな・・・」
ツトムの呟きも聞かないで、ボスコザーレは礼拝堂の中へ走って行った。
扉が閉まると、やがてパパッ、と電球に火花が散った。樅の木は瞬く間に電飾を纏ったクリスマス・ツリーへと変化した。
赤・青・緑・黄の光が点滅している。
「上手くいった」
踊るようにして、ボスコザーレが礼拝堂の中から飛び出して来た。赤い衣装を身につければ、そのままサンタクロースといった風情で。
ツトムは梯子の半ばから飛び降りて、ツリーを見上げた。
「下から見ると、全然おかしくないな。子供たち、喜んでくれますかね?」
「大人も喜んどるよ」
ボスコザーレは、自分を指差して言った。
クリスマス・ミサに来る子供たちの為にと、ボスコザーレがツリーの用具を調達して来たのだ。
「N.Y.のツリーほどじゃあないがね」
「そもそも我々にはクリスマス・ツリーは無縁のものでしたからね」
ツトムとボスコザーレは、梯子を担いで礼拝堂に入った。
キキッ。バタン。
せわしない音が続いた。
「車の音。こんな時分に教会に何の用でしょうね?」
ツトムは腕時計を見た。午後十時を回ったところだ。
「告解ならキミがやってくれ。ワシはもうシャワーを浴びて寝る時間だ」
「ええ」
ツトムは、ボスコザーレが離れに戻って行く姿を見送りつつ、礼拝堂の鍵を持って門まで歩いた。門灯に照らされたシルエットの女が、少し動いた。
「ブオナセーラ(こんばんは)」
真宮ユマが、流暢なイタリア語で言った。寒夜にもかかわらず、黒いミニスカートだが、元気な出で立ちとは裏腹に顔色は冴えない。
「電話してくれても良かったのに。全部話す気になったのかい?」
ツトムは複雑な面持ちを見せた。
「一昨日は妙な事になったし、今日もさっきまで仕事だったのよ。来た方が手っ取り早いと思って。迷惑かしら?」
「いや。教会に閉店時間なんてないしな―中に入ってよ。シニョールもまだ起きてるから」
ユマは頷いた。ツトムのぴんと伸びた広い背中を見詰めながら、離れに向かって歩き出す。冬の夜の暗い影が、心細く長く教会内の建物に伸びている。
ツトムの足元から伸びた影が、一瞬揺らめいてユマの瞳に映った。
礼拝堂の茶色い壁面に映し出されたそれは人型のようで、鬣を持ったごつごつした生き物、或いは羽を持った動物のようにも見えた。
「ディアブロ(悪魔)・・・」
ユマは思った。そして、それは最初にツトムの目を見た時の印象と似た感覚を呼び起こした。
食卓の上には切り分けられたレモンパイと、紅茶の入ったサーバーが置かれていた。
「シニョールの御手製ね?」
ユマはボスコザーレに向かって言った。二人の会話は、無論だが英語で交わされていうr。
「いや。トムが作ったんだ」
ボスコザーレはケーキディッシュにパイを一切れ載せた。ダイニングには、ツトムの姿はない。書斎にいて、今日一日の最後の仕事をしている筈だった。
ツトムは、ボスコザーレに代わって教会の会計を管理している。毎日、ほぼ慣習のようにノートパソコンに向かい、集計をした後、さらに電子メールの点検をする。ヴァティカンの「回勅」を閲覧する為だ。「回勅」つまり、Litterare Encyclicaeは、ラテン語のみで書かれたローマ教皇からの重要指針の事だ。
中にはメールで懺悔を送ってくる人間もいて、必ずしも良い事ではないが、それなりの対応をしなければならない。
「意外かね?ああ見えても家事の殆どはトムがやってくれているんだ」
ボスコザーレは、怪訝な顔のユマに向かってそう言った。
「そうじゃないんです。まるで親子みたい」
ユマはティーカップを持ち上げた。
「ハハハハ」
ボスコザーレは、豪快に笑った。恰幅の良い腹が揺れる。
「生涯独身の修道士であるこのワシがねぇ。まあ、トムとは長い付き合いだからな」
「素朴な疑問なんだけど、シニョール」
「何だい?」
「ツトムは何で僧服を着ていないの?」
ああ、とボスコザーレは膝を打った。そして、ユマの方に顔を寄せると、声をひそめて話し出した。
「大きな声じゃ言えんがな。実を言うとトムは修道士じゃないんでね。たまに僧服を着てミサをやることもあるんだが・・・」
「それって、身分詐称じゃありません?」
「例外だよ、例外。任務遂行の為には僧服は邪魔だろうという御触れでだ」
ボスコザーレは大きく息を吐いた。
似非神父が説教しているというのは、信者に対する冒涜ではなかろうかと思ったが、ユマは口に出さなかった。
「任務遂行って、何なんです結局。異端審問官の仕事って?魔女裁判なんてまだやってるんじゃないでしょうね?冗談キツイわぁ」
ユマは腕組みをした。
「ううむ」
「拝み屋は拝み屋での、彼は只の拝み屋じゃないって事は、ようく判ったわ。一昨日の事件の時」
「ふむ」
ボスコザーレは苦笑した。ユマの黒い双眸がしっとりと濡れたように輝いている。知的好奇心と才気に満ちた目だ。この調子で、つい数時間前まで講義をしていたものだ。
サエコも昔、こんな目をしていたな、とボスコザーレはユマの母親の事を思った。
「依頼人は私なのよ、シニョール。ヴァティカン内部の秘則だか何だかよく判らないけど、もうちょっと教えて貰えると有り難いんだけど、どう?」
「それもそうだな」
「でないと、こちらも何もかも喋る訳にはいかないわ」
ユマは、静かな声で言った。
(つづく) →(2)へ