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DIAVOLOS
〜十二夜〜


1夜  常闇

(4)

 ローマ市内。ヴァティカン市国。その聖務省には、異端審問所またの名を宗教裁判所という部署が存在する。最早、世間には忘れ去られ、とうの昔に過去の遺物に成り果てたとみなされる存在ではあるが。
「ワシが正式にキョウトに赴任したのは、一と月前でね」
 マリオ・ボスコザーレの声が、低く響いた。
 聖遺物室の内部である。ヴァティカン宮殿の壁の内側に隠されている、百以上もの地下宝物庫の一室だった。
 ツトムは、この部屋に入るのは初めてで、ボスコザーレもまた四十年以上前に、一度入ったきりだ。それ程に、聖務省職員と雖も、おいそれと出入り出来る場所ではないのだ。
「前任のセブール神父が急死してね。心臓が悪かったらしいが、呆気なく。まあ、ワシにとっても寝耳に水、の慌しい話だよ」
「他に人手がないというわけでもないでしょうに」
 ツトムは、周囲を見回した。
「モンシニョールの采配でね」
 ボスコザーレの渋面をチラ、と盗み見て、ツトムはくすくす笑いを洩らした。
 モンシニョール・バッサロニ。
 異端審問所所長、アントニオ・バッサロニ大司教の苦みばしった顔が、ツトムの脳裏に浮かんだ。この後、所謂その苦虫を噛み潰したよう仏頂面に会わなければならなかった。
「やはりというか、御多分に洩れずいわく付きだったよ」
 セブール神父が急逝したのは、実は九月の半ばである。その後直ぐに代わりの神父が着任したが、一週間後には人事部に転任願を提出してきた。理由はよく判らない。
 二人目の神父も同様。そして三人目も。
「五人目の時に漸く理由がはっきりした」
 ボスコザーレは、口をへの字に曲げた。
「幽霊だよ」
「幽霊?」
 五人目の神父が言うには、着任した晩から幽霊は現れた。いや、正確には夕刻の五時に。
 礼拝堂の戸締りをして離れの住居へ戻ろうとした時、誰も入っていた筈のない告解室から、ふらりと人影が現れた。黒い僧服を身に着け、蒼褪めた顔をしたその男を見た瞬間、神父はぞっとしない心地に襲われた。
 セブール神父だと思ったのだ。
 何故に、ここ数週間のうちにバタバタと転任した神父がいたのか、容易に理解できた。そして、訳は判らないがそこはかとなく恐ろしくなった神父は、脱兎のごとく礼拝堂を離れ、早々にベッドに潜り込んだのだった。
 だが、次の日も同じように、同じ時刻にセブール神父の幽霊は現れた。
 その翌日も。
 よく見れば、セブール神父は何かを訴えかけているかのようにも感じられたが、只どうにも恐ろしさが先立って、五人目の神父は一歩先へ進めず、結局四日目に教会から逃げ出してしまった。
「それでお鉢が回ってきたというわけですか」
「愉しそうに言わんでくれ。―――いや、ワシもいざその場になると、こう、肩が竦んでね。キミの様に場慣れしとらんでな。その方面は」
 ボスコザーレは、口髭を指先でなぞった。
 話に聞いていた通りの状況で幽霊が登場した時、さしものボスコザーレも瞠目した。
 一面識もないセブール神父の姿を見て、確かに何とも言えない恐ろしさはありながら、同時に懐かしいような感もあった。
 そして、無言で静かに手招きするセブール神父の後をついて行った。
 裏庭を回り、離れの北側の扉へと向かった。長年開けられたことのないような、隠し扉を潜ると、その奥は古びた物置だった。蜘蛛の巣と埃とで、濛々とする中を、幽霊は平気で進み、壊れた書棚の前で止まった。
 そこで、幽霊は何やら寂しげな表情を作ると、ボスコザーレに背を向け、霧のように立ち消えた。
 書棚には、アクリルケースが置かれていた。
 そのケースの中に、神父の示した答えがあった。
「それが、物置にあったんですね」
 ツトムは、珍しく明るい表情をしてボスコザーレの手の上に在る物を覗き込んだ。 
 二十センチ四方の透明なケースの中は、色褪せた紫のビロードが敷かれており、その上に黒い鏃のような物体が載せられていた。
「これ――オレにいただけませんか?」
 ツトムは、ひょい、とアクリルケースを持ち上げた。
「キミ、これは・・・」
 シーッ。と、ツトムの指が老人の言葉を遮った。
「知ってますよ。これが門外不出の品だっていうことは」
 ツトムは目を細めた。
「《ロンギヌスの聖槍》。通称《ギャラハッドの聖槍》という」
 《ロンギヌスの聖槍》。
 イエス・キリストが、ゴルゴダの丘の十字架上で処刑された時だ。息絶えたことを確認する為に、その脇腹を刺した槍。百卒長だったガイウス・カシウス(のちのロンギヌス)が、イエスの遺骸に槍を突き立てると、血と水が迸った。その血を浴びたガイウス・カシウスは、白内障が回復し、のちに回心して洗礼を受け、聖人にまでなったという。
 イエスの血を受けた聖杯同様、この後に聖槍もまた、様々な伝説を生んだ。
「これは、《ヘレナ后の聖槍》との関連性はないようですね」

 《ヘレナ后の聖槍》とは、4世紀、後期帝政ローマのコンスタンティヌス帝の生母へレナが発見したという聖槍である。
「一体どちら・・・いや、何れが本物の聖槍と呼べるんでしょうね?アーサー王の円卓の騎士ギャラハッドの聖槍。”聖杯に滴り落ちる血の付いた槍で、不能になった聖杯保管者の脚に触れ、その脚を血で塗る”――ロンギヌスとは直接かかわりがないように思えますが」
「だから、ここのお宝は非公開なんだよ」
 ボスコザーレは、釈然としない面持ちで言った。
「そのお宝が、どういういきさつでセブール神父の手元に紛れていたのか知りませんが、伝えなければならないと思われたんでしょうね。或いは、《ギャラハッドの聖槍》を戻しておいてくれ、とでも」
「死んでなお心残りだったというわけだ。だから返しに来たんだよ」
 ボスコザーレは念を押すようにツトムに向かって、言った。
 ツトムはアクリルケースを離さない。
「報告が終ってるのなら、いいじゃないですか。貸しといて下さいよ。ヘレナの槍なんかよりは、よほど役に立ちそうだ」
「こら、ヴァティカンの宝物は一切国外持ち出し禁止だぞ!」
「あんまり大声出さないで下さいよ。聞こえちゃいますよ」
 ツトムは、ボスコザーレの当惑なぞ何処吹く風え聖遺物室を出て行った。

 十二月六日。
 名神高速道路下り、京都府と大阪府にまたがる天王寺トンネル付近で、女性の変死体が発見された。
 身元は、遺留品によって京都府向日市在住の大学生、広田峰子と確認された。
 遺体の所見は、両眼損失、脳の損傷が著しく、上半身の神経線維の殆どが切断されていた他、消化器官の一部に大きな穿孔が見られた。直接の死因は、脳梗塞に拠るものとされる。
 同日。
 大阪府枚方市。枚方第一厚生病院に急患が運び込まれた。
 患者の氏名は坂口信太郎。家族の報告によると、本人は帰宅後、浴槽で眩暈を覚え、大量の吐血後に昏倒したという。応急処置が施され、検査が行われている最中に死亡した。死因は、心機能停止。直接の原因は心筋梗塞である。
 翌十二月七日。
 関西文科大学、学生会館。通称BOX内で、変死体発見。
 同級生の確認により、文学部四回生・島崎厚志であることが判明。解剖結果は、脳細胞、神経線維の損傷、胃、小腸の部分的喪失が伺えたが、直接原因は大量の失血である。
「――以上の三件が、一連の事件と思われるようよ」
 ユマは、マウスに載せた手を止めて、回転椅子に凭れた。
 ツトムは黙って、デスクトップコンピュータのディスプレイに示された画面を見ているだけだ。
 ブラインドの隙間から西日が落ちてくる。午後四時半というのに、そらは赤く上気し始めていた。
 真宮ユマの個人研究室は七階にあった。郊外の建物は、これでもかというほどに高く聳え立っている。廊下を歩く者は殆どいない。奇妙なこの静けさは、冬期休暇前だからというわけでもあるまい。
「で、キミはどの事件を見てきたの?」
「三番目。十二月七日よ」
「関西文科大学。池田市まで行ったのか」
「非常勤講師をしているの。毎週月曜日に二コマだけね」
 ユマは、ややムッとした口調で答えた。
「私用があって、学生会館を訪ねた時だったわ。救急車が止まって、スゴイ人だかりだったから」
 ユマは顔を顰め、額に手を押し当てた。鮮明に状況を思い出せる。講師控室を出て直ぐに、その騒ぎが目に入ったのだ。吸い寄せられるようにして、ユマは学生会館の前まで行った。
「自殺か」「事故か」の声が職員や学生達の間で飛び交っていた。
 胸が騒いだ。救急隊員がBOXの中から担架で運び出す人間は、一体誰なのだろう。被せられたシートを剥がしたい、とさえ思った。


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