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DIAVOLOS
〜十二夜〜


1夜  常闇

(2)

 冬の使者のごとく、黒い悪魔が大きな翼を広げて降り立った。
 尤も、その翼はトレンチコートの裾だった。そして、悪魔の乗り物は、モンスター600という名前の黒いオートバイだった。
「おうい、学生さん」
 警備員が、黒ずくめの男の背中に呼び掛けた。
「ここにバイクを止めちゃいかんよって。あっちのF館の駐輪場にとめてくれへんやろか?」
 男は、斜めに少し振り返った。
「オレはここの学生じゃないんで。悪いが、直しといて下さい」
 警備員は、えッという間も無く投げられたイグニッション・キーを受け取る羽目になった。そうして、男は烏のように黒い裾を翻して、軽い身のこなしで講義棟へと入っていった。
 コツコツコツ。
 男の立てるブーツの靴音だけが白い廊下に響く。講義時間中の為か、人はまばらだ。ホールで煙草を吸っている女子学生達が、一瞬男の顔を見た。
「なに?」
「あの人見たことある」
 二人の女子学生が、互いに顔を見合わせた。
「何処の学部やろ?」
「ちゃうねん。あんな格好してなかったけど、学生ちゃう。非常勤でもないと思うわ・・・思い出せんけど」
 男は、全く無関心に女子学生の横を通り過ぎ、目的の部屋を探した。
「2112講義室。ここか」
 バン。
 開いた扉のすぐ奥に、若い女が立っていた。バインダー・ノートとホワイトボード用のマーカーを片手に、何か喋っている。大教室の中が、俄にざわめいた。
 
男は、ちらと女の様子だけを見て、教室の後ろへと向かった。
「あ・・・」
 漸く気付いた若い女教官が、何か言い掛けたが、黒ずくめの男は有無を言わせぬ空気を身に纏っていた。つかつかと歩いて後の壁に凭れると、早く講義を続けたらどうだ、と言わんばかりに腕組みをした。
「何よ、アイツは?講義終了五分前に。大遅刻もいいとこでしょうが」
 女教官・真宮ユマが、最前列の男子学生に尋ねた。
「先生も知らへんのですか?そんなら、オレ等も知らへんよなぁ」
 隣の学生と顔を見合わせる。
「えーと」
 ユマはマイクに向かって声を上げた。
「というわけで、今日は世界のクリスマス行事について講義してきたわけですが、何か質問ある?」
 女子学生が、キャッキャッと騒ぎながら、教室の後を盗み見している。
「なければおしまい。今年の講義は、これで終わり。で、試験に代わってレポートを提出して下さい。テーマは、《我が家のクリスマス行事》。地域性があるほうがいいわ。そんなのない、って人は、自分の家に関係なくても可。締め切りは、一月十六日。個人研究室の前にポストをおいて置くので、そこへ提出してね。テキストファイルは、必ずフロッピーディスクで。メールは受け付けませんから。ヨロシク」
 言い終わるや否やで、学生達が立ち上がり始めた。
 どやどやと教室を出て行く学生達の頭の波の間から、ユマは教室の後を見た。男の姿はない。ホワイトボードの板書をけしに掛かった時である。
「ユマ」
 黒ずくめの男が真後ろに立っていた。
「な、何よ?」
「失礼。真宮ユマさんですね」
 ユマは、男を見上げた。百八十センチメートルはあるだろうが、最近の若者には少なくない程度だ。だが、小柄な部類のユマにとっては、見上げるほどに思えた。男の漆黒の髪は、無造作にカットされていて、不揃いな襟足と前髪が印象的だ。
 男の目を見た瞬間、ユマは心臓を鷲掴みにされる戦慄を覚えた。
 特異な風貌ではない。
 面長でやや鷲鼻。薄めの唇。長い睫毛にやはり漆黒の瞳。黒というよりは、闇を思わせる暗い瞳。そのくせ、何処か人を惹き付ける香りを漂わせている。一言でいえば、ちょっ根と暗そう。
 男は、口角を引き上げ、右手を差し出した。
「ツトム・ホーショーだ。よろしく」
「そう。アナタが」
 ユマは、差し出された右手を握り返した。

 薄日が白い建物の上を、覆うように降臨した。冬の日差しは、短いが、晴れ渡った今日は、山の上から広い廊下まで入り込んでいた。
 洛南大学は、京都府向島にある、私立文科系大学である。キャンパスそのものは、そう広いわけではない。ミッション系の大学である為か、小奇麗な印象を与える構内。冬でも緑が多い。
「さっきのがB講義棟。情報文科部の講義棟ね。渡り廊下で斎明館に繋がっているの」
 ユマは、窓を見ながらツトムに説明した。
 白い
丈短のジャケットにミニスカート。モスグリーンのショートブーツ姿の真宮ユマは、一見女子大生か、せいぜい大学院生にしか見えない。
 二十八歳で大学講師であるという才媛ぶりは、その外見からは判断出来なかった。
「・・・・・」
 ツトムは、黙ってユマの後をついて行くだけだ。
「斎明館の手前がチャペルよ。ここのシンボルね」
 中庭は、広い。三方が校舎に囲まれていて、その間にメタセコイアの樹木が三本、隆々と聳えている。その樹木には、商店街の飾り付けで見られるような豆電球の鎖が、ぐるぐると巻きつけられているところだった。
「クリスマスツリーの準備だわ。二十四日にはミサがあるから。何で三本なのか判る?《東方の三博士》に由来してるんだわ。バルタザール、メルキオール、カスパール・・・」
「・・・・・・」
 矢庭に、ユマは振り返った。ぎっ、とツトムの顔を見据えながら、素早く右手をツトムの胸元に突っ込んだ。
 ニヤ。
 赤い唇が、不敵な笑みを作った。ジャケットの内側からツトムの右手をつかみ出す。握られていたのは、煙草の包みだった。
「教室及び廊下は禁煙なのよ」
 ユマの左手人差指が、廊下の壁を指差した。赤い張り紙には「NO SMOKING」の文字が白抜きで浮かんでいる。
「さっきの講義棟じゃ、女の子が吸ってた」
「そこまで知るもんですか。吸いたきゃ、私の研究室まで我慢することね」
 ち、とツトムは軽く舌打ちした。
 A講義棟を抜けて中庭を突っ切ると、学生用掲示板を横切って、ユマは進んだ。割合に、個人研究室棟は離れている。
「ツトム・ホーショー、アナタ幾つ?」
「二十五かな、たぶん」
「拝み屋だっていうんで、もっと胡散臭そうなおっさんかと思ってたわけよ。で、何処にいたって?私も一応帰国子女ってヤツなんだけどね」
「・・・・・・」
 ツトムは煙草を咥えた。
「二週間ほど前まで、セイシェルにいた」
「そのわりには日焼けしてないのね。お仕事忙しいって、わけ?」
「釣りと読書と説教だけだ」
「ふーん。アナタ、ヘミングウェイ好きなの?」
「何で?」
「何となくね。『日はまた昇る』のジェイクみたいに見えたわ」
「・・・生憎だが、オレは性的不能者じゃない」
 ユマは振り返り、噴出した。
「読んでるじゃない」
 フーッ。ツトムは勢い良く、煙を吐き出した。
「あのさ。いい加減本題に入らないか?」
 あら、とユマは肩を竦めた。
「セイシェルの前は何処にいたの?」
「・・・・・・」
 ツトムは、長い長い紫煙を吐き出した。中庭から、こちらへ向かって来た男女一組の学生が、二人の脇を通り過ぎようとした。ツトムは、三度ゆっくりと煙を吐き出した。そこを、男子学生の顔が通貨した。
 何事もない。
 普通、煙草の煙が顔に掛かれば、むっとするだろう。食って掛からないまでも、何か言うか、顔を顰めるに相違無い。
 だが、男子学生は何食わぬ顔で行き過ぎ、そして突然に倒れた。
 仰天したのは、連れの女子学生だ。
「きゃあ、ジュンちゃあんっ!!」
 女子学生が叫んで、倒れた男の背を揺すった。その甲高い声で、俄に人が集まってきた。男子学生は微動だにしない。まるで、電池の切れた人形みたいに呆気ない倒れ方をしただけで、それ以上う何の反応も無い。
「どぉしたのよっ!」
「救急車を!」
「ジュンちゃあん」
 女子学生の悲痛な叫びが響く。
「アナタ、あの子に何をしたのよ!?」
 ユマの右手が、ツトムのコートの襟元を掴んだ。ツトムは、煙草を足元にポトリと落とすと、皮肉めいた微笑を片頬に浮かべた。
「何も」
 ツトムは左手でユマの右手首を掴むと、ゆっくりと引き離した。思わぬ力に、ユマはよろぼうた。
おい、ジュン!」
 倒れた男子学生の同級生らしい数名が、駆け寄った。男手二人掛かりで、ジュンの身体を引っくり返そうとした。だが、動かなかった。ツトムの右手指が素早く男子学生の頭蓋を掴んだからだ。
「なっ、何すん・・・いでででっ!」
「屍体に触るんじゃない」
 屍体という言葉に、音も無く人垣が崩れた。同時にツトムは、右手を離した。ツトムは、腰を屈めて、ジュンの胸に手を当てようとした。
「し、屍体って何よ!!ウソ!!」
 女子学生が叫んだ。
「嘘じゃない」
 ツトムは、女子学生を見据えた。びくり、と肩を震わせた後、女子学生は石の様に固まってしまった。
 無言のまま、ツトムはジュンの屍体を担ぎ上げた。蟹の子供が波から逃れるように、学生達は散り散りになった。呆然と立ち竦んでいる人影を置き去りに、ツトムは歩き出した。
「何処行くのよ。何のつもり!?」
 ユマの問い掛けは、ツトムの耳に届いていなかった。


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