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DESERT ROSE  砂漠のバラ 

―1―

グランドピアノから流れる甘い旋律。
懐かしいジャズのスタンダートだということは判る。
だが、ハーモニカすらまともに吹けないオレには音楽の良し悪しは判らない。
緑色のヴェルヴェットの衣装を身に付けた弾き手は誰だ?女の顔の右半分は長い黒髪に覆われていて、横顔も見えない。女がカウンターの隅に座ったオレの脇をすり抜けて行く時に香ったバラの匂いが、飲み始めて小一時間も経つ今でも、鼻の奥で燻っている。
だが、目下、オレの興味はそんなところにはない。
胡散臭いちょび髭をはやしたバーテンが、オレの目の前に代わりのグラスを置いた。
三本指を立てる。
スリーフィンガーのことじゃない。グラスの底を指一本分と数えて、トゥーフィ ンガーだ。
この酒が幾らするか、オレは勘定もしないでボトルを指差したものだ。
だが、マスターの顔を見れば、ちょいとした値段であることは容易に知れた。
何故、そんな物を頼む気になったのだろうかって?
そいつは、テーブル席のいっとう奥を見てくれよ。左奥だ。二階に上がる階段の手前。
そこからは、さぞピアノの弾き手の顔がよく見えるだろう。
手前じゃない。
い ちばん奥の無帽の男。髪をちょんまげ―サムライみたいに束ねている無口なヤツ。
色 が浅黒い、瞬きの少ないヤツ。
そう、そいつを見たことがあるかい?
オレは少なくとも、これで二回目だ。相手は知らないだろう。
『熱海のギルビー』。
何故ヤツがそう呼ばれるか?その話はおいおいだ。
兎に角、オレはヤツが酒場に 入ってきた途端、身震いした。背筋から頭のてっぺんまでな。
金玉まで縮み上がったもんだ。
で、頼んじまったんだよ。差す指が震えたもんでな。

―2―

 バーテンはオレの顔色を見て、言った。
「あれがギルビーだ。『アタミ』じゃない。『ねっかい』のギルビーだ」
「『アタミ』?何だそりゃ」
 オレは歴史に弱いもんで、バーテンの言う地名だか人名だかを理解出来なかった。
 ま、そんなこと、どうでもいい。兎に角、オレはそのちょんまげ男に一面識があったのだ。
 そう、あれは八年ほど前だっただろうか。
 フラナガンというシケた工業都市のなれの果てみたいな町での出来事だった。
 オレは職務にあぶれていた。
 失業?いや、オレは公務員みたいなものさ。
 だが、いつも決まった場所に勤務している訳じゃあない。
 いつも忙しいわけじゃあない。
 むしろ、オレのような仕事に就いている連中は、ヒマであればあるほど世の中平和だってもんでな。
 ・・・悪いが、今はこれ以上はオレ自身のことを喋ることが出来ないんだ。
 で、男の話だ。
 シケた町でも犯罪は起こる。
 チンケな押し込み強盗が、町の教会に押し入ったんだ。そこの教会な、ヴァティカン本部から支給される寄付金をしこたま溜めこんでいやがった。
 それを狙っての犯行だ。
 ケチな神父は孤児たちが人質に取られ、なす術も無い。
「金の在り処を言わなけりゃ、子供を十分ごとに一人ずつ縊り殺してくれる」って言うもんだからさすがに神父も焦ったもんだ。
 神に帰依するから?
 いや、自分の職歴に汚点を残したくないからだ。
 ついに神父は金の隠し場所を喋る、と言い出した。
 もう、読めただろう?
 そう、そこへ現れたのが『熱海のギルビー』だった。
 ギルビーは、やにわに神父を押し退けると、強盗達に近付いた。
 その素早さといったら、何て譬えたらいいだろうか? ああ、『ニンジャ』と言うのか?極東には、昔そういうスパイがいたんだっけ。
 ま、あんたの言うように音も無く速やかに、だ。
 で、問答無用に強盗達を倒していった。どういう業を使ったのかは覚えていないな。
 だが、気付いたら強盗数名は、礼拝堂の床に突っ伏している有様だったぜ。

―3―
 
ギルビーはといえば、素知らぬ顔でオレの脇を通り抜けて行こうとした。勿論、ヤツは観衆の誰一人として見ちゃいねえだろう。
 それで、ギルビーのヤツ、去り際に何と言ったと思う?
「明日は雨が降りそうだ」
 だとよ。オレは鼻血が出るかと思ったぜ、全く。いや、何でかって?
 言いたくはないんだが、オレはギルビーにあることをされちまった。
 そう、八年経っても忘れられないようなことだ。詮索はよせ。いずれ話してやる。
 とても忘れられないようなことだ。だから、オレはヤツの顔を覚えている。
 尤も、ヤツはオレのことなんざこれっぽっちも記憶が無いだろうがな。
 ふん。兎も角、ギルビーはとんでもない野郎だ。腕も立つ。
 ・・・酒が温くなったな。
 その時の借りを返そうなんて思ってるんじゃないかって?
 その通りだ。オレは機会あらば、ギルビーにもう一度遭い、八年前の借りを何とかしたいと思っていた。
 今夜は御誂え向きに素晴らしい。こんな上等な酒場で、切ない音楽を聴きながら、昔語りをする。
 こんな物語のプロローグがあってもいいだろう。台本は要らない。
 ピアノの演奏が止んだ。
 アルト・サキソフォンが主旋律を奪う。そして、ピアノの弾き手が静かに立ち上がった。
 黒髪がカーテンのように揺れて、女の顔が明らかになるのを、客達は見るともなしに見ていた。
 やはり、あれだけの演奏をする女に興味がない輩は少ないだろう。
 そして、オレもご多分に洩れず、女の方を振り向いた。
 
 ・・・驚いたな、全く。
 女の顔に見覚えは無い。だが、既視感を覚えたのは確かだ。黒髪に菫色の瞳は珍しい。
 小鼻は摘んだように小さく尖って、唇はやや捲れ上がっているが、小振りだ。所謂絶世の美女というタイプではないが、一応上等の美人の部類だ ろう。
 オレに女の造形を詳しく語らせるなんて、野暮ってもんだ。
 とにかく、ピアノを弾いていた女は、客が満足して余るほどの器量だったのは、確かだ。
 さらに驚いたのは、女がオレに向かって来たという事実だ。長い真っ直ぐな髪をたゆたわせ、女は不思議な笑みを浮かべると、
「ご一緒してよろしいかしら?」
 と、きたもんだ。断る程、オレも無粋な真似はしない。
「ああ」
 オレはハードボイルドを気取って、一言応える。女の方は決して振り向かない。 当然だが、客達の視線は、にわかにこのオレの方に向いた。
 そう、奥の席にいたギルビーとて、気付かない訳は無い。これをチャンスと捉えるか、ハプニングと捉えるかは自由だ。オレの場合は、前者にしておく。
 女は、水割りを頼んだ。バーテンはオレに目配せする。オレは黙って頷くだけだ。
 バーテンは無慈悲にオレのボトルから、琥珀色の液体をグラスに注ぎ込んだ。
「このスコッチの名前を知っていて?」
 女は名乗りもせず、オレに話し掛けた。
「さぁ」
「アナタ、銘柄も確かめないで注文するの?」
 女は、ころころと笑声を立てた。


―4―


「このお酒は『デザートローズ』という名前」
 女は言った。オレは、洒落たボトルをまじまじと眺めた。成る程、だ。
 オレにボト ルやラベルの造形を語らせようなんて、無駄だぜ。
 オレは生憎、絵心も持ち合わせて 無い。
「ネーミングの由来は、推して知るべしよ」
「なんだそりゃ?」
「飲んでいるアナタなら、判るでしょう」
 女は意味ありげに笑う。
 名乗りもせず、いきなり酒の銘柄の話をし始めたかと思えば、内緒だと。女という 生き物は、何を考えているのか判らねえな。
 店の奥から動き出したヤツがいる。オレは、背中で殺気を受け止めた。オレが女の 関心を独り占めにしているのを、やっかんだ手合いだろう。
 だが、素知らぬ顔をするのが無難だ。なに、臆病風に吹かれたかって?
 いや、職業上、初めての土地で厄介事に巻き込まれるのは御免被る。何といっても、 オレの仕事は世間的には正義の仕事だ。
「おい」
 野太い声が、オレの背中をどやし付けた。一日中砂漠の真ん中にいたヤツが出すよ うな、しゃがれた声だ。
「聞こえねえのか、お前?」
「・・・・・」
「何度も言わせるなよ!」
 漸くオレは、グラスを置き、振り返った。

「耳の聞こえねえ野郎だな。お前XXXか?」
 しやがれた声の男は、振り向いたオレに向かって、遠慮会釈ない罵詈雑言を浴びせてきやがった。
 何と、今や自主規制どころか、一般人が喋っても軽犯罪法違反で国際警察にしょっぴかれそうな、あの単語を言い放ちやがったのだ。
 足の不自由な人に対して「XXXを引く」とかいうような類の言葉だ。
 客は、一斉に蒼褪めた。
「いやあ、最近耳掃除が出来てなくってな」
 と、オレは空とぼけて答える。男は大きな顎に自分の拳を擦り合わせた。まるで、牛一頭でも丸齧りしそうな顎の男だ。石臼並みだ。
「んなこたあどうでもいい。お前、その女をギルビー様の情婦(おんな)と知っての減らず口か?」
 石臼男の恫喝は、実に堂に入っている。長年、チンピラ修行した賜物だろう。だが、そんなコケオドシに金玉の縮み上がるような、オレ様じゃあない。
 え?ギルビーを見た時は縮み上がってたじゃないかって?・・・ヤツは別格だ。
 そして、オレは女の方を横目で見た。女は毅然とした表情のまま、微塵も動じる様子は無い。
 奥に構えている筈の、自分の情夫を見ようともしない。オレは、何となく雰囲気を察した。好いた惚れたの間柄ではなく、ワケありのようだ。
「ふん、つまらん質問はよせよ」
 オレはせせら笑った。
「知ってなくても、知っていても、答えは同じだろ?」
 オレのセリフが終わらないうちに、石臼男は腰に下げた大振りのホルスターから、ハンド・ブラスターを抜き放った。

―5―

 ズダン。閃光が先走り、続いて鈍い音が追う。一同は一瞬耳を疑った。ブラスターがそんなに重々しい金属音を発するわけが無い。そこで漸く判ったらしい。
 オレの右手に握られたエモノの存在を。
 一々説明するまでもないが、この世でこんなに芸術的な作りの武器は他にあるまい。しかも、一連の動作によっておこる音は、まるで一つの旋律だ。
 そう、そいつはパウダーガン(火薬銃)。
「き、きさま・・・」
 石臼男は、うっとうめいた。そして、脇腹を押さえてよろぼうと、どう、と床に突っ伏した。
「急所は外してある。貫通弾だ、死にゃしねえよ」
 オレは言った。
茫然とする客達の間から、一人の男が出て来た。ヤツだ。
「ほう、見事な腕前」
 と、ギルビーは言った。決して冷やかしではないことは、ヤツの鋭い眼光が物語っている。
「跳弾の角度まで計算していやがる。こいつの脂肪の厚みで、そのラウンドノーズ弾(丸頭弾)がどれくらい圧迫、減速され、どの角度で腹を突き破って出てくるか?」
 ギルビーは、くるりと背を向けると、グランドピアノの方向へ向かって、進んだ。ジャズメンの一人、コントラバス奏者に笑みを送り、その楽器に手を掛ける。
 そうとも、正解だ。ラウンドノーズ弾は、コントラバスのドテッパラにめり込んでいる筈だった。そして、ギルビーは不敵な笑みを浮かべた。
「素晴らしいまでの正確さだよ。スロッピー・ジョー」


―6―

ギルビーは、オレの通り名をすんなりと言いやがった。はじめっからオレと知っていて、ムシしていたのか、それとも今思い出しやがったのか。それは判りはしない。
「当然さ。オレはこれでも化学をやってたんでな」
オレはハッタリでなく言った。
「なかなかどうして。だが、私の店でパウダーガンを抜いた以上、その落とし前はつけて頂こうか」
 ギルビーは、鼻を鳴らした。
「なんと、手前ェの店だったか。こりゃ、とんだ舞台だぜ」
「違うわ」
ピアニストの女は言った。強い否定の表情を顕わにしていた。
「あんたの店なんかじゃない。ここは、まだ私の・・・いえ、父のものよ」
「死人は死人。所有権などとうになくなっている筈だ」
 ギルビーは、嘲笑うかのように言う。漸く話が飲み込めて来たぜ。
「どういうことなんだ?」
 オレは、女の鬼気迫る白い貌を見詰め返した。
「父はヤツとの勝負に負けたのよ。・・・そして、総てを失った。それだけの話よ」
 女はあっさりと言った。だが、言葉尻に見え隠れする憎悪の炎は覆い隠せない。
 女は唐突に、オレの右腕を掴んだ。強い意志を秘めた、縋りつくような瞳に見据えられて、オレは一瞬言葉を失った。
「あいつに勝って」

 あとは、女何と言ったのか覚えていない。覚えて無くてもいいこった。オレには女の、最初に発したその一言だけで充分闘う理由が出来たからだ。
暗黙の了解のように、客達は壁にそれぞれの背を押し当てた。こうしてみると、店内はかなり広いものだ。
 オレとギルビーは向かい合う。向かい合うことは、互いの意志を確認する為の儀式に過ぎない。女は黙って、オレとギルビーの間を過ぎり、他の客と同じように壁にくっついた。
 オレは、改めてパウダーガンを腰のベルトに挿み込んだ。ギルビーは、利き腕である左腕を擦り、同じく銃をオレみたくベルトに挿んだ。条件は同じでなくてはならない。
 ぞくぞくしやがるぜ。ヤツの自信に満ちた顔は。心臓が早鐘を打つ。鳥肌が立つ。全身の毛穴という毛穴は縮こまり、胃にしこりが出来たみたいだ。こんな勝負は久しぶりじゃないか。
 武者震い?いや、オレは正真正銘ビビッてる。こんな時はビビッてるくらいで丁度いいんだよ。
 オレとギルビーは、まるで双子の月みたいに背を向け合った。そして、十歩ずつ後退した。

―7―

 勝負はわからねえ。
 ただ、オレはヤツに手の内を見せてしまっている。
 ラウンドノーズ弾は、正確に急所を狙わない限り、人を殺すことは出来ないのだから。オレがヤツを倒すには、一つしか方法は無い。
 1・2・3・・・7・8・9・・・靴音は重なっていく。
 10歩目。これが運命の分岐点。
 オレは向き直ると同時に発砲した。
 ドギュアン、ドギュアン。
 銃音は二発。いずれが先に発したのか。それはパウダーガンの所有者にしかわからねえ。
「ちくしょう・・・」
 オレは呟いた。ギルビーの口許が、やや歪んだ。けたたましい哄笑がギルビーの薄い唇から洩れた時、オレの脇腹から血がどっと溢れ出した。はずしやがったな。
 だが、オレも真正面のギルビーの胸を撃ち損じていた。
「アッハハハハ・・・・」
 そう笑声を響かせると、ギルビーはぶふっ、と血を吐いた。
「・・・あばよ」
 オレは膝をついた。顔面から床に倒れたギルビーの背中に、真っ赤な一輪の薔薇が開きつつあった。血の赤い薔薇。
 女はオレに駆け寄って来た。
「どうやって、ギルビーを!?」
「ふ。言ったろ。オレは化学をやってた。算数はちっとばかし得意なんだ」
 オレは、ラウンドノーズ弾を、わざと壁に向けて撃ったのだ。跳ね帰った弾が、ギルビーの心臓を真裏から撃ち抜くようにだ。ビリヤードと同じさ。大したこたあない。速度も落ちているから、貫通はしないしな。

 甘いジャズの旋律が、今夜も流れている。グランドピアノの弾き手は、この店の女主人だ。
 オレは、グラスを傾け、一気にスコッチを呷ると、バーテンダーに目配せをした。ストゥールを降りるオレに、女は視線を遣ると、ピアノを離れた。
「曲の途中だぜ」
「構わないのよ。・・・ありがとう」
 女は黒髪を揺らし、はにかんだ笑みをオレに向けた。
「礼を言われるほどのことはねえ。ヤツとは因縁があってな。決着をつけるいい機会だった」
「因縁?」
「ああ、八年前にな」
 忘れもしねえ、フラナガンの町の場末のプールバーでだ。
 オレはその日、いやその夜今後数ヶ月の生活を賭けた勝負をしていた。ナインボール。相手は、町一番のハスラーと謳われた・・・といっても田舎町じゃたかが知れてるが、そういう男だった。
 佳境に入ったところだ。オレのリーチで勝負が決まる。
 その時だ。オレのキューが突き出された瞬間に、背中を押したヤツがいた。キューは思わぬ方向へ滑って・・・これ以上言わせるなよ。思い出したくもねえな。
 そう。オレの背中を押したヤツ。それが「熱海のギルビー」だった。
 ヤツは謝るどころか、オレのほうを見向きもしないで、出て行きやがった。
 それだけのことだ。ただ、それだけのことなんだがな。オレは有り金巻き上げられて、その後数ヶ月、どんな目に遭ったか。・・・これも、あまり思い出したくねえ。何にせよ、オレの人生はいつもすってんてんだ、
「アナタ、どうしても行くの?」
「ああ。オレには大事な仕事がある」
「人を愛する以上に大事な仕事なんてあるの?」
 面映い事を言うじゃねえか。オレは照れ臭くなった。
「尤もだが、オレは神サマの愛をお守りする為に働いているんでね」
「じゃあ、アナタ・・・」
 オレは、ふと洩れる笑みを女に返さずにはいられなかった。
 オレは神父だ。ガラじゃなくても、神父だ。所帯なんか持てる身じゃねえ。
「あばよ。生きてたら、また会おう」
 オレは、店の扉を外界へ向かって、押し開けた。
「それまで、ボトルは残して置くわ。何十年経ってもね」
 女は涙声を堪えるように、言った。
 外はもうすっかり夜の帳が下りている。
 砂漠にだって、薔薇は咲く。
 乾いた心にだって、恋はともることもあるんだぜ。

  
(FIN)

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