| パヴィヨン・ブラン・ド・シャトー・マルゴー 仕事を終えた徹夜明けのオレの目は、相当充血していたと見える。妹はオレを見るなり、揶揄めいた微笑を浮かべた。いや、憐憫に似た表情だったかな。 「また仕事の話か」 「違うわよ。カノジョと別れてよ、兄貴」 妹は瞬き一つせずに言った。青い双眸の底に沈んだ静かな澱が舞い立つのが見えた。 嫉妬?いや何となく違う。匂い立つような香りがする。妹の指は、タンブラーに突き刺さったストローを頻りに動かしていた。淫猥な仕草だと見ればそう見えなくも無い。唇がプラスティックに貼り付いた様子がナメクジのようだ。 「昔から言うじゃないか。『他人の恋路を邪魔するヤツは何とやら』って」 途端に妹は白い頬を引き攣らせて、笑声を立てた。やや引き笑いの低い声は端整な顔に不釣合いなのもあって、オレは昔から妹の笑顔が好きではない。つんと澄ました顔の方が妹らしい。 「兄貴がそんな事言うなんて世も末だわ。まさか本気なの?」 オレは応えなかった。応えなかったのが答えなのかも知れない。 「別にいいけど……」 言い掛けた妹の顔半分に蔭が差した。パラソルの緑の下に、長い影が伸びていた。 オレは二日ぶりに、彼女の印象深い瞳を見上げた。 ソムリエがオレの椅子の左側に立ち、リトーでワインボトルの口を拭っていた。適度に冷えた[パヴィヨン・ブラン・ド・シャトー・マルゴー]のエチケットがオレ達三人を睥睨していた。ソムリエは気を効かせて、即座にグラスを一個増やした。 同じボルドーであるのに、白だというだけでメドックの格付けから押し出された哀れなワイン。 自由の国だと言いながら、WASPでない故にエグゼクティヴとは無縁なオレ達と似た香りがする。同じ金髪でも、彼等に言わせるとカトリックの血はオリーヴ油臭いらしい。 「何が可笑しいのよ」 妹は首を傾げた。オレは二杯目を飲み干した。 実は白もあまり冷やさない方が、オレは好みだ。ワインは香りを愉しむ飲み物だからだ。大振りのブルゴーニュグラスに蟠った木樽のニュアンス、黒い果実とスパイスの刺激。口の広いグラスから発散される柑橘類の香り、甘いマーガレット、薔薇、無花果の微妙。やや温く感じる程度で熟成香が花開く。 そして、女もその香りを愉しまないとしたら、一体何が残る? 「私も御一緒していいのかしら」 と、彼女は微笑んだ。まるで陶器のような光沢の、肌にぴったりしたツーピースを身につけており、イヤというほど自慢のプロポーションが強調されていた。 妹が椅子に腰掛けたまま、彼女の腰を抱き寄せた。 「彼女が好きなの。だから別れてよ、兄貴」 挑戦的な青い瞳に灯が点った。妹は幼い頃からいつもオレの持ち物を欲しがる。オレはその度にうんざりして渋々譲るのだった。何しろ、妹はオレと違って女だ。無碍に要求を跳ね除けたら何をしでかすか判らないのだ。 野良の子猫を拾った時もそうだった。猫を譲ってくれないのなら、いっそ捨ててやると言って、アパルトメントの9階の窓から外に投げ付けてしまった。結果は口にするまでもない。オレは一人で潰れた子猫の死骸を片付けた。 「いいだろう」 オレは頷いた。だが、その承諾を遮ったのは他ならぬ彼女自身だった。 「あら。そんな必要はなくてよ。他にも方法はあるわよ」 乾杯の印を掲げて、彼女は南欧の太陽のように笑った。 鏡に映ったオレの頬は少しこけていた。丸一日髭を剃っていないが、それにしては伸び方が早いような気がしたが、何の事は無い、やつれた所為だ。 予め湯を張ったバスタブに身体を沈め、オレは極端なまでに酷使された局部を入念に洗った。彼女と実妹に思う存分摩擦されて嬲られたちんぽの皮はあと一擦りでずる剥けになるやも知れない。 おまけにアルコールを入れると長持ちするというので、しこたまワインを飲んだ。お蔭でぼんやり頭が痛い。 「やァ。もう起きたのか」 オレはシャワーカーテン越しの彼女に声を掛けた。 「そうよ」 と、彼女は屈託なく笑いながらバスタブに滑り込んで来た。オレの両手を押し退けて、彼女の両手が取って代わった。忽ちオレのフニャチンは小鳩のようにクルックーと膨らんだ。 「アナタを独り占めしたかったのよ」 彼女は深遠なグロッタの中にオレのガチンコを導いた。 「どう、気持ちいい?」 オレは答えなかった。彼女は左手を腿の下に潜らせ、オレの後穴に中指をおもむろに突っ込んだ。突き刺すような痛みが薄い粘膜を突き破る。同時に問答無用の快感が襲って来た。ほぼ反射的に、オレは彼女の中で射精した。 初め、オレはバスタブの中に浮かんだ点が何なのか判らなかった。 だが生温かいその染みがオレの胸元に広がった途端、心臓が激しく鼓動を打ち出して判った。早鐘のように脈打つそれと相俟って激しい頭痛が渦巻いた。 彼女は薄く微笑み、オレの半身は沈んで行く。彼女の右手に握られたセミオートマ拳銃が青白い硝煙をシャワーカーテンに擦り付けていた。 「どうしたのよ?兄貴」 バスルームに飛び込んできた声も、余韻を残さず途切れた。振り向きもせず、彼女はたった二発目で妹の仕留めたらしい。 幻聴なのか何なのか、遠くにファルーカが聴こえた。死ぬのか。 だが、情けなくはない。オレのちんぽは硬直したままだ。男の本懐だろう。女にとっちゃバカバカしいだろうが、最上の死に舞台だ。 願わくばもう一回太陽を拝みたかったがな。 じっとりと肌を焦がす嫉妬深い太陽が、笑っている。私は薄汚いホテルの回転扉を押した。レンガの角から四角い顔がにゅっと現れた。 「上手くやったのね」 四角柱みたいな顔がにんまりと笑った。 私は黙ってディスクを差し出した。3億ドルは下らないヘロインの在り処がそれに入っている。オカマはへー、ほー、とためつすがめつディスクを眺めたが、そんな事で何も見えやしない。 「アンタがしくるからよ。力ずくでもオカマの色香でも兄貴の方を落せなかったんだからね」 私が嗜めると、オカマは四角い顎を覆うように両手で押えて目を瞬いた。 「でも殺すこたぁないでしょ。アンタって顔に似合わず野蛮なんだから。妹の方まで誑し込んじゃってさ」 「人聞きの悪い。殺すしかないに決まってるでしょうが。どうせ生きてたって彼等はロクでもないわ」 オカマは私の言葉に反駁でもしたいのか、むっとした。 「その割には時間が掛かったじゃないのよ」 「ワインをね」 と、私は言って上着の内ポケットからシガレットを取り出した。長らく禁煙していたのだが、どうしても堪えれら無くなった。 「あの男、いやにワインに詳しかったわ。それだけの事よ」 私はオカマに向かって紫煙を噴き掛けた。オカマは四角い顔を露骨に顰めた。 「人間アブク銭を手に入れると身分不相応な贅沢をしたがるものなのよォ。たかがヤクの売人でも」 「そんなものかしらね……」 「なによ。アンタだってマフィアの片棒担いでるロクデナシの殺し屋のクセにさ。アタシだって他人の事は言えないけども」 そうとも。ロクでもない。こんな世の中、何ゆえに同じはみ出し者同士で殺し合わねばならないのか。 「何とでも言えば。ちゃっちゃと死体の始末はしておいてよね」 私はオカマを差し置いて早足で歩き出した。空は明るく、太陽は既に南に移りつつあった。 誰かに本音を語る気などとうに失せた。確かにある一瞬、私はあの男に愛情を感じたかも知れなかったが。普遍的な男の可愛気をね。お互い違う立場なら、飲み友達くらいにはなれたかも知れないが、もしもの話はバカらしい。 いつまで経っても、男のバカバカしさが憎めない。それは、私が単なるちんぽ好きなだけかもしれない。男と女は『太陽』と『大地』みたいに切っても切り離せない。どっちが『太陽』か『大地』なのかは判らないけれど。 【パヴィヨン・ブラン・ド・シャトー・マルゴーの解説へ】 [21話へ戻る] |