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マッタヤーナ 2000

 
私にはずっと捜している物がある。早く見つけたい。早く見つけなければいけない。
 ここ数週間、嫌なカラ咳が続く。半年以上頑固な便秘と下痢を繰り返していて、体重も十キロ近く減った。まだ食欲が落ちないのが救いだが。
 急に痩せたので、同僚にもからかわれたものだ。「三十越して急にダイエットか?痩せる必要ないだろうに」「まさかスキルスじゃないんだろうな?」なんていう冗談にならない冗談も。
 診察室にカルテが回ってくる度に、私はある期待を抱きつつ、またじきにそれを失望に変えては、二年以上経過した。
 
こんな眩い白昼の個室には似つかわしくない乱れた思いが、ふと私の脳裏に過ぎる。
 テイスティングパーティ会場は、控えめな照明を人々に浴びせかけていた。彼の誘うような視線に出会ったのは、もともとそうアルコールに強くない私が二杯目の[マッタヤーナ]という赤ワインを飲んだ時だった。
 スペインワインの新作試飲会という、些か場違いなパーティに出たのも、何かの奇妙な巡り合せだと思っていいのだろうか。そう言うと、学生時代の友人は決まって笑う。
 「医者のクセに迷信深いよ」と。だが、余人の思いの外、医者だの科学者だのいう人種こそ非科学的なことに没入しやすいのだ。
 まだ少年と言っていいようなあどけなさを残す卵型の輪郭に、日本人にしては浅い色の瞳をした青年。目が合うと柔らかいはにかんだ笑みを差し向けて、彼は私のグラスに自分のグラスを重ね合わせた。
 最初からそのつもりだったのかも知れない。
 その前々日、私は恋人にこっぴどい仕打ちを受けて失意を抱いていた。いや、半ば自棄になっていたともいえる。
 本当は、このパーティも恋人が応募したものであって二人で来る筈だったのだが。
 私は、酔いが回ったのと尿意を覚えたのでパウダールームを捜した。彼が私を誘導すると申し出たので、何気なく従った。
 それだけの事だ。
 五分後。私は会場から最も離れたパウダールームの個室で、彼に求められるまま性急に事に及んでいた。若い粘膜の弾けるような痛みを怒張した陰茎に感じた。離別した恋人には無かった、新鮮なそれでいて悪魔的な快感が走った。ものの数分も持たなかったのを覚えている。
 酔いの所為と、行為に至った脱力感で私は夢うつつだった。彼が忽然とパウダールームからも会場からも姿を消していたのにも、気付かなかった。赤いワインの毒々しい色彩が脳裏にこびり付いている。彼が流した鮮血の色に似ていた。
 あれから私は誰も抱いていない。誰とも付き合っていない。
 あの弄うような浅い色の瞳と細い腰を思い出す。
 だが、同時に私は今後悔の海に投げ出されている。パウダールームでの出来事が、たった数分の出来事が私の命を蝕んだのだ。
 勤務先では当然検査出来ない。内密に他所の病院で検査を受けた結果が、つい先日返ってきた。
 HIV感染の陽性反応。つまり、後天性免疫不全症候群―acquired immunodeficiency syndrome(AIDS)らしい。
 私は待っている。
 いつか彼が私に感染(うつ)した同じ病でこの診察室を訪れるだろう可能性を。恐らく彼自身、感染の事実に気付いていなかった。気付いてたのだとしたら。いや、それでも私は彼に恨み言を言うつもりはない。
 もう一度、あのはにかんだような笑みが見たいだけだ。
 僅かな休憩時間が終わって、次のカルテが回されてきた。私の痩せた胸にささやかな期待が膨らんだ。
 


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