トリッテンハイマー アポテーケ リースリング カビネット ギムナジウム 1999 赤ワインは苦手だ。飲んだ翌日かならず頭痛がするから。それでたまたま寄った酒屋でドイツの白ワインを買った。店のアドヴァイザーに薦められたのがトリッテンハイマー・アポテーケとかいう面白い名前のワイン。ドイツ語で「薬剤師」という畑で出来たワインだそうだ。 仕事の段取りもついて企画書の草稿が出来上がったので、軽く一杯と思って寝酒にワインを飲んだ。 仄かに甘く軽やかで、飲みやすくて美味かった。 翌朝、日課なのでパソコンのメールをチェックした。大学時代のゼミの同級生から二件、スパムメールが数件来ていた。なんだ鬱陶しい、と思って削除しようとしたメールの中に奇妙なものを一件見つけた。 <飲みやすくておいしかった?ありがとう(^−^)> 間違いだろう。それでないなら誰かの悪い冗談だ、放って置こう。その日は気にもせずに出社し、また夜遅く帰宅した。そして、寝酒に昨日のワインをまた一杯飲んだ。店員の言うには、開けて数日なら味もそう変わらないとのことなので。 だが、また翌日新しいメールが入っていた。 <昨夜も遅かったね。また飲んでくれてありがとう(^∇^)> 些か吃驚した。昨夜も飲んだことは誰も知らない筈だ。彼女にも言ってない。というか、ここんところ雲行きが悪いので一人で飲むしかないのだ。酒屋の店員にだって、メールアドレスを言った覚えはない。どういうことなのだろう。だが、あまり深く考えている暇もなく出勤した。今日は新製品のプレゼンの補佐役で気が急いていたからだ。 昨日よりも更に遅くなって帰宅した後、また冷蔵庫を開けてワインのボトルを取り出した。プレゼンはうまく行った。その機嫌良さも手伝って、一杯やりたかった。その時今朝のメールのことが一瞬思い浮かんだが、気にせず飲むことにした。 一仕事終えたあとのアルコールは最高だ。 朝つい寝過ごしかけて、慌てて飛び起きながらメールをまたチェックした。 <プレゼンお疲れさま。毎日飲んでくれてとてもうれしいです。何かお礼をしたいのですが…> 来たな、と思った。マルチ商法かも知れない。半信半疑にさせておいて、こちらが返事を送ったところで勧誘のメールが来るに違いない。そうならそうで、しっぽを掴んでやってもいいかな、と返信をうつ事にした。しかし、何でプレゼンのこと知ってるのだろうか。 <お礼なんてとんでもない。毎日美味しい思いをさせてくれて感謝しています。でも、仕事が忙し過ぎてここのところ彼女に呆れられて機嫌を直してくれないんだよな。どうしたらいいと思う?> この程度でいいだろう、と多寡を括ってまた出社すると、昼休みに携帯電話にメールが入って来た。彼女からのメールだった。 「ごめんね。あなたのお仕事忙しいのは頭では判ってるんだけど、私も自分の仕事のことでカリカリしていてごめんなさい。反省しました。といっては調子いいんだけど、今晩食事でもどうかな?」 思わず、ランチトレイを落っことしそうになった。あれほどメールしても無しの礫だったのにどういう風の吹き回しなんだろう。勿論、返事はOKで返した。 久々にご機嫌な夕食、会社で残業しながらコンビニ弁当をつつく毎日とはお別れして彼女のコロコロ笑う顔を見ながら食事が出来た。 自宅でも酒を飲まずに寝た。 <彼女はご機嫌でしたか?このくらいたやすいことです。もし他に困ったことがあったら何でも言ってくださいね!> 新しいメールが入っていた。すると、昨日のお膳立てはすべてこのメールの送り主がやったことなのか。何だか気味が悪いような不思議な気がして発信先を追及しようとしたが、どうしても解析出来なかった。サーバーもなしに送受信出来るわけがないのだが。 <どうもありがとう。明後日は仕事で相見積もりの提出期限があるんだ。どうしてもうちが落としたいんで、上司に相談して可能な限り低コストにしたんだけど、不安なんだ。何だか既に他社とバーター取引が出来てそうな感じで。いや、こんなことを言っても無理かな…聞き流してください> 無理を承知で返信メールを打ってみた。 翌日は普通に仕事して、帰宅しても酒は飲まずに寝た。メールの返事はなかった。やはり無理だと思ったのだろう。これでメールが来なくなればなるで構わない。 そうして、見積もり提出の朝が来た。やるだけのことはやったつもりだが、その日一日は何となく落ち着かないまま終えた。 <颯爽と会社に行って下さい。きっと良いことがありますよ(- ☆)> 見積もり提出から二日後にメールが入っていた。キツネにつままれたような気分で出社すると、部長がにこやかな顔で出迎えてくれた。見積もりが通って発注がうちの部署に来たのだということだった。 まさかそんな。偶然に違いない。それにしてもあのメールは一体誰が?仕事の達成感とともにどうしてもそのことが気に掛かった。 その夜彼女と食事をしながら、思い切ってナゾのメールの話をしてみた。 「おかしな話ね。メルヘンちっくに考えると、あなたそのワインを買った日からなんでしょ?案外ワインの精とか小人がいてあなたの行動を観察してるのかもよ。ドイツワインって何かそういうのありそう」 と、彼女は他人事のように笑って言った。恐がりもしない。 そんなバカな。彼女を送って帰宅するや否や、ワインを開けてみた。緑色の瓶の三分の一ほど入った液体以外に何も無い。 置いておくのも何だか収まりが悪いので、開けたついでにワインを全部飲み干す事にした。 <物事は疑った時に、その人にとっての真実も変わるものです。あなたとはさようなら…(;−;)> 朝起きたらこういうメールが入っていた。 それきり、奇妙なメールは入って来ないし、仕事の予見もない。彼女とはまぁ上手く行っている。再来月の連休には彼女の実家に結婚の挨拶に行くつもりだ。 あれからトリッテンハイマー・アポテーケを買った酒屋に行って同じ物を買い求めてみたが、メールは来なかった。おせっかいなワインの精は、また新たな飲み手を求めて去ったのだということにしておこう。 今となってはもしかしたら、あのメールは仲直りしたかった彼女のいたずらなのかもしれないと思うのだが、聞かないほうがいいのだろうか。それとも、世の中の不思議は不思議のままにしておいたほうがいいのかも知れない。 【トリッテンハイマー アポテーケ リースリング カビネット ギムナジウム 1999】の解説へ |