| ウルフブラス プレジデント セレクション シラーズ 2000 監督に言われた。 「勃たなきゃ話にならんよ」 と。 無茶な要求だ。カメラが数台も回っている中で、真昼間から素面でどうやって勃起出来るんだ。しかもこの格好だよ?何で安全靴履いて下半身だけ裸なんだよ。台本がそうだから仕方ないけども。 俺は今日ほど、いやこの映画の撮影ほど短い役者経験の中で泣きたくなったことはない。助監に頭でっかちのタコだの、役者は目で演技しろ、ナンダその腐った魚みたいな目は、だのとアルミの灰皿を投げ付けられてもガマン出来た。たかがVシネマじゃないか。俺が目指すのは其処じゃない、と思うから。 「もういいよ。明日はドカチンの撮影入ってっから、オマエは明後日」 監督はシケモクを噛み千切りながら、力なく言った。俺は自分の萎びた一物を恨めしく凝視しながら、現場を離れた。血糊を洗い流さなきゃな。 11月の湾岸を吹く風は、心寂しく冷たい。 千穂子は、約束よりも三十分遅れて店内に堂々と入ってきた。この女にしては上出来な時間だ。いつもは一時間以上平気で遅れてくるのに。 俺はそれまでアペリティフ代わりに飲んでいたクアーズをやめ、千穂子にドリンクメニューを渡した。 「そうねぇ。オーストラリアがいい。これ、ウルフブラス・プレジデント・セレクション・シラーズ?ってやつね」 と、千穂子は華やかに笑って俺の知らない赤ワインをオーダーした。 今夜の千穂子はいやに肝が据わったような風情で、長い髪もサイドで軽く流しただけの簡素でいて悩ましい姿だった。艶やかな黒髪が自慢なのは、千穂子が美容師だから手入れが行き届いているというだけではない。 陳腐な言い方しか出来ないが、出会った最初から、千穂子の髪は人目を引く輝きを放っていた。千穂子の手が髪を掻き上げると、決して人工では再現不可能な滑らかな曲線を描いて、はらはらと肩に背中に落ちる。 正直、俺はその時、千穂子の髪がデコルテの上を滑る様を見て勃起したくらいだ。 千穂子と付き合うようになってから、セックスの度に俺はその黒髪に埋もれて眠った。 俺は漠然とそんな感慨に捉われながら、千穂子に撮影の話をした。今、撮っている映画は『金融烈風帝王・ハマの財二郎シリーズ』の第四弾で、俺は自称・正義の金貸し蔵持財二郎と一騎打ちする雇われヒットマンの役だと。出番はこれまでになく多くて嬉しいんだが、実はヒットマン・雷門新吾は人をブチのめすことに快感を覚えるヘンタイなのだ。 んで、クライマックスシーンで何故か下半身裸でトカレフ二丁拳銃をぶっ放しながら暴れ捲る。勿論、その後に財二郎と敵対する金丸組の親分が出てくるのがメインなのだが。最終的には、雷門は財二郎に撃たれて死ぬ。そん時にめためたに暴れながら、ちんちん勃起させてないといけない、という監督の指示がある。 俺も台本渡された時に、まさかと思ってたが、そのまさかなのだ。 「で、章ちゃんホントにそんな脚本通りにしてるの?バッカみたい」 千穂子はボーイが運んできた赤ワインにちらちらと目線を遣りながら、苦笑した。あまり声高にする話の内容じゃない。 「やめればいいじゃない、そんなのAVじゃないんだから」 「仕方ないっつかさ。シリーズの前作がイマイチだったんで、話題性作りだよ、多分」 俺は、テーブルに供されたサルティンボッカとか何とかいうイタリア料理を突ついた。 「どうせモザイク入るし、いいだろ」 問題は俺が勃たないってことなんだが。 千穂子は俺の沈んだ顔を見詰めていたようだ。そうして、グラスのワインを一気に干すと、長い溜息を吐いてからこう言った。 「実は章ちゃんにお別れを言いに来たのよね」 俺は、ぼんやりしていたので聞き逃す寸前だった。千穂子はまるで、明日遠足なのでお弁当にタコさんウインナー入れて欲しい、と母親に言うみたいに無邪気に言い放った。 「いろいろ考えたんだけどね。田舎に帰って店を継ごうと思って。うち実家も美容院でしょ?一人っ子だし、親も年だしねぇ」 そうか。そうなのか。他の男が出来たとかそういうのじゃないんだ。 「で。……も一つ申し訳ないんだけど、他に付き合ってる人がいるの」 千穂子は依然変わらず悪びれた風もなく言う。 「だ、誰だよ?」 「半年前にホラ、高校の同窓会があったって言ったでしょ。そん時部活の先輩に会って……ね?」 何が「ね?」だ。フザケンナ、とテーブルをひっくり返したいのを俺は我慢した。 「ごめんね章ちゃん」 千穂子の声には誠意が籠もっていた。いや、そう聴こえるのは俺がまだ千穂子に未練たらたらだからだろうが。 確かに俺は二十八歳にもなって一向に芽が出ない三流役者だ。デヴュー当時は藤木なんたら言う歌手だかに似ていてセクシー系のイケメンと言われたが、如何せん事務所が弱小な所為だか何だか役にも恵まれないし、頭も良くないからトークはヘタだし、歌も歌えない、何より演技がもう一つなのは俺自身充分判っている。 勿論、金回りだって良くない。こういう小洒落た店にだって慣れない。俺より一つ年上の千穂子が将来を焦る気持ちも判る。 だが、俺は千穂子がその先輩だかに抱かれているのを想像するだに、胸糞悪くなってきた。その口振りだと、恐らく千穂子はしげく先輩とデートを重ねて、唇も体も重ねてあっふん、とやりまくっているのだ。 俺が、この俺が半年間、三下に蹴られて汚い東京湾にブチ込まれるダメ刑事を演じたり、二時間ドラマで登場して三分で殺されるホスト役をやったりしてる間にだ。特撮ヒーローのオーディションにも出たが、年を食ってるというので落とされた。こんちくしょう。 地方ロケの合間にメールを入れ、CMのエキストラに参加し、寝不足の体に鞭打っていそいそと千穂子をディズニー・シーに連れてった日々は何だったんだろ。 千穂子は考えあぐねたように自分の髪に手を触れ、俺のぽかんとした顔と窓に映る夜景を代わる代わる見詰めていた。女は残酷だが、黒髪は相変わらず美しい。 俺は胸の奥と股間に熱い疼きを感じながら、漸くワインに口を付けた。スパイシーで、複雑で、苦味が残る味わいだった。 そして、千穂子に提案した。 「……判った。別れよう。だが、一つだけ俺の頼みを聞いてくれ」 「どっ、どうしたんだよ今日の矢島ちゃんは」 助監の甲高い声が現場に飛び交う。 「まるで別人だなぁ」 監督はむっつりとしたままだったが、シケモクが落ちたのにもかかわらず、メガホンを握り締めたまま俺の方を凝視していた。無論、俺は絵の中にいるのでスタッフの顔色など殆ど目に入らないが。 俺はモデルガンのトカレフを握り締め、あたかも青白い硝煙が立ち昇っているかのように唇で銃口の辺りを吹く。飛び散る血糊が何処に掛かろうと、すべてアドリブだ。我ながら、体の切れも凄くいい。 何より、俺はびんびんに勃っていた。信じられないだろう。一昨日までは、死んだ芋虫みたいに情けなかった一物が隆々暴れまくっているのだから。羞恥心など何処吹く風だ。 俺の懐には千穂子が渡してくれた黒髪が一房入っている。ヘンタイだと言われようが、俺は千穂子の髪を撫でている俺自身をイマジネーションすることで、勃起出来たのだ。 そうだ、見てろよ千穂子。お前の結婚祝いにこの映画のDVDを贈ってやる。 俺は千穂子と見たこともない旦那がリビングで俺のエレクトしたちんちんを見てると思うだけで、ますます興奮した。 何処までが演技なんだ?何処までが。いや、どうだっていい。これが俺の本気なんだ。 「カーーッツト。はい撤収!」 【ウルフブラス プレジデント セレクション シラーズ 2000の解説へ】 |