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仏葬花(ぶっそうげ)

 昔、一人の男あり。身の丈は一尋(八尺=180p)程。うばめ樫の木肌に似たるつややかな頬と、ぬばたまの夜が如く黒き双眸。山吹色の一重の狩衣姿も凛々し。懐には鞘巻(注:1)、また、広き背なに負いしは琵琶。
 男は宇治の巨椋池(注:2)を巡る薄ヶ原を行き行きて、一刻あまり。やがて浅茅が宿にぞ着きたる。朧月夜の顔(かんばせ)も、漸う東の空ににょっぽり浮んだ春の宵であった。
 葦は悪しに通ずるという。荒れ果てた棲家は、巨椋の大池の湿った土地にありて、葦の中洲の如くして建っていた。
 男はわらんじの足を抜きつ差しつ歩み寄り、浅茅が宿に辿り着く。
「誰か」
 男の声のみが、ぬるんだ空気に響き渡る。葦原より、雁が二、三羽やおら飛び立った。
 小暗い。小暗い破(や)れ障子の隙間から、きいと蝙蝠(かわほり)が一匹抜け出して来た。
「かわほりとは。誰もおらぬのか」
 男は浅茅が宿に背を向けた。
 その時である。ひゃふ、と風が吹いた。男の黒い鬢を撫でつ、風は通り過ぎた。
「もうし」
 障子が傾いた。薄ぼんやりと青白い炎が点った。
 艶めいた女が立っている。障子の向こうには、萌黄に緋の襲(かさね)の映りが際立って見えた。漆のように黒く長い髪が、闇に融け出していないのは、光を微かに放っている所為か。
「彼方(あなた)。旅の方。こんな荒れ宿で宜しければお上がり下さいましな。女一人の侘び住まいぞな」
 女は唄うように声を洩らした。もし、女の頬に赤みがさしておらなければ、女の影が儚く障子に映っていなければ、男は一目散に飛んで逃げたであろう。
「はて面妖な。女一人とは些か・・・儂(わし)のような男寡の無骨者にすげすげと敷居を跨がせるなどと」
 もしや遊女(うかれめ)の宿。よもや狐狸の類ではあるまいか。男は訝りつつも、女の手招きに誘われて青茅を分け入った。
 滅法、喉が渇いていた。脚もくたびれて露にしとどに濡れていた。
「不意の客人を御持て成し致す程の物は、何もございませぬが」
 女は静かに笑んだ。細面の小さき顔は、まるで童女のようにあどけなく真白。男は、女のたおやかな手から銚子を受け取り、酒を一気に干した。
 よくよく見れば、狐狸どころか。京でいちばんの白拍子よりも艶めいて、宮女にも似た気高い麗貌。白粉の薫までも雅やか。
 板間の片隅に活けられた花が一輪。赤く揺れている。男が今まで見たことも無い、毒々しい血潮の色を吸ったごとき赤い花。彼岸花では無い。五枚に分かれた花弁が、何処か異国めいた不可思議な馨を漂わせて佇む。
「上等な酒よのう。儂が普段ありついておるような濁り酒とは格が違うて・・・酔いも早よう」
「ほほほ」
 女は優雅に笑った。灯火は、薄い化粧(けわい)を照らす。
「お侍さま。鎌倉よりお越しかえ?」
「鎌倉とは。儂が小汚き身形で何ぞ、鎌倉武士と心得る?さて、何時の年に出たかのう。法皇(注3)が儚くおなりあそばして、三月後に下向したまでよ」
「では恩賞を賜って此処らに領(しろしめ)されるのか?」
 はは、と男は膝を打って大笑した。
儂は知らなんだ。儂が鎌倉を出でて半月もせぬうちに、まさか実に吾奴が政所をあないな土地に設けようとはな」
 男は盃を開き、女は澄んだ酒を其処に注いだ。
 男は片手に屏風の陰に置いた琵琶を抱える。

儂はこの琵琶を西行法師(注4)より預かり申した。爾来、武骨物で武芸一辺倒の名折れになるとも、こうして旅の供にしておる」
「御供養でございましょうか?今まで葬られたもののふどもへの」
 女は、つと男の節くれ立った手に、か細い手を滑らせた。男は、やや躊躇いながら伏目がちに女を見遣る。
「供養とは浅墓な。つぐない切れぬものぞ、現世(うつしよ)の穢れは」
「まことにそうでござります」
 女は消え入るような声で言った。琵琶の弦が、ほろほろと鳴く。女は男の胸にひし、としがみ付いた。
 灯火は頼りなく障子を照らすものの、衣擦れは静けき辺りに忽ち物の気配を色めき立たせる。
「・・・匂う」
「如何なされました」
 女は、男の胸の重みを快く思いながら言った。
「あの花は何という花ぞ?」
 男は女を組み敷いたまま、尋ねる。
「仏葬花(注5)にございまする。仏に手向ける花と申しまして、博多の商人(あきんど)が持ち越したのです。面白き花故に活けてみました」
 女は息も絶え絶えに。
「死人の臭いがする。あの花の匂いが」
「御気に障りましょうか?」
 女は笑った。
「伊豆にはありませなんだか?」
「伊豆とは・・・」
 男は息苦しさを感じた。真綿で喉を締められているかの如く。次第に身体が瘧のように熱を帯びて来た。
 十指はかたかたとうち震え、頬に手を遣ると、肌膚が粘りつく。
「おのれ・・・」
 男はしゃがれた唸り声を上げた。みるみる手指は溶け、頬の肉が削げ落ちた。髪は抜け落ちて行く。目の玉が流れ出した黒い眼窩が恨めしく女を睨む。
「頼朝め!」
 哀れなり、偉丈夫の姿は、灯火が掻き消えるまでの合間にされこうべと為んぬる。
ふつ。灯火は消ゆ。

 薄ヶ原に浮んだ月。叢雲は頂けぬが、一陰一陽の風は傍らに凪いだ。
 藤色の袴に立烏帽子。元服して間もないと思われる程に澄んだ顔立ちの若者が一人。葦を掻い潜り、琵琶を拾い上げた。
「露子。無事か」
 若者は無人の薄ヶ原にぽそりと呟いた。
「美次(よしつぐ)さま」
 呼ばれた若者はつと目間(まなかい)を顰める。鈴を転(まろ)ばす声。だが、薄ヶ原に姿を現したのは、一匹の白い狐であった。其の口に咥えたるは、一輪の紅色した仏葬花。
「恐うございました。東国一の強者と謳われた御方を目の当たりにして。我が化粧が暴かれるのではと、気が気でなりませなんだ」
 白い狐は無表情で、口も動かさずに囁いた。若者の赤く薄い唇に労いの笑みが浮ぶ。
「これここに蒲冠者殿(注6)の琵琶が」
「ほんに。蒲冠者殿は伊豆にて身罷られたというのに。何故に京まで魂離(たまが)られたのでありましょうか」
 白い狐は若者を見詰めた。
「引き寄せたのは、この私だ。私の夢に度々現れる顔の見えぬ偉丈夫の姿を知りたかっただけでの」
 橘三郎(たちばなのさぶろう)美次は、口元に扇子をあてた。京にこの人在りと称名された美貌が曇る。霧露(ぶろ)散じ難しの風情なり。
「罪な御方にござりますな。美次さま。現世に無き者をお導きになるそのお力に、皆御縋りになる」
「私は真実の姿を見しょう鏡ぞ。鏡に罪はあるか?」
 美次は唇を引き結ぶ。漠獏たる風は吹き抜く。白い狐は言葉も無し。
「時に今は何の年ぞ」
「正応五年(注7)にござります」
「・・・そうよのう。あれからもう百年(ももとせ)過ぎておるのう」
 薄ヶ原ににょっぽりと月が朧な春の宵。

  
(終)

注:
1鞘巻:鍔の無い短刀。
2巨椋池:小椋池とも。京都府南部、現在の宇治市、八幡市に跨って存在した大池。
3法皇:後白河法皇。1192年3月13日歿。遺領は歿後直ぐに処分された。
4西行法師:(1117年〜1190年)。歌人。元は武士。佐藤義清(のりきよ)。源頼朝らと交流を持った。
5仏葬花:ブッソウゲ。ハイビスカス。亜熱帯にしか自生しない。作中では博多よりもたらされたとあるが、琉球産。
6蒲冠者:源範頼(?〜1193年)。建久四年8月17日に兄・頼朝によって伊豆・修善寺に流される。問題発言があったために頼朝の命で梶原景時に攻められ自刃する。
7正応五年:1292年。伏見天皇、執権・北条貞時の治世。

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