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THE MIRAGE OF THE SAGES

第壱章 歓びの首都
THE CAPITAL OF THE JOY

(1)


 吟遊詩人(ミンネゼンガ)がエル・マイカの都にやってきたとき、街は折りしも市場(バザール)の立つ昼日中だった。
 エル・マイカは太陽の都、黄金の拠点、白亜の外壁が織成す栄光、世界の美という美、魂の始まり、寿ぐ人々の集まり。噂以上の賑わいぶりだ。
 しかし、蒼馬にゆったりと体を揺られながら内壁へ向かう異国の吟遊詩人にとっては、驚嘆に値する光景ではない。
 遥か北国のヴァリトラの要塞の厳粛さを欠く、南方の盛都ナンファンの活力に満ち足りぬ、そして今は亡き都アプラントの清々しさ華麗さに尾及ばない、寄せ集めの紛い物のような都という印象を与えるだけだった。
 それはまだ、俗界の人々が由々しき血と汗と砂の冒険に胸膨らませる時世のこと。
 偶像(アイドル)などという厚かましいものの存在しない、何者も生の価値を知り得ていた昼下がり。
 ヴィーオウルフ・アルフォレリオ、若く美貌の吟遊詩人は、その二十年近い流浪の旅をして初めてこの都を訪うこととなった。琴(リュート)を抱いた馬上の麗人は、東国のあからさまな陽光には奇妙に不釣合いで、振り返らぬ人は殆どいない。エル・マイカがあらゆる人種、野生の生き物、妖精の類のるつぼとはいえ、彼の人ほど異質の存在はなかったことだろう。
 彼が琴を爪弾き、城の従者を伴って行く姿は、この世の人ならぬものとして人々の目に映った。
 決して華美すぎるでもなく、口ずさむ歌の旋律が悲傷であったわけでもないが、幾百幾千の貴族たる名を隠した吟遊詩人を受け入れたこのエル・マイカに於いて、ヴィーオウルフはこれまでにない人間だった。最もその理由を知りたいと望んだのはこの国の王ゼムダ・オルドスであり、ゼムダ王の意向によって彼はエル・マイカの城門を潜ったのであった。
 さても初夏の陽射しは眩しく、雲雀は天頂に舞う。ヴィーオウルフは即興の詩を誦しながら市の立つ大通りと、内門へ続く通りとの交差路に差し掛かって、足止めを喰らった。後方で従者と城の兵士とが揉みあっていた。商売人までもが交じって騒いでいたが、平生ヴィーオウルフは、このようなことでは眉一つ動かさず、ましてや馬を下りることなどなかった。
 しかし、別の年取った従者に「少々、お待ちくだされ」と声を掛けられ、仕方なく騒ぎの中へ歩いて近寄った。
 小太りの商人が「この餓鬼が瓜泥棒をしやがったもんで」といい、兵士が「とっ捕まえて牢屋にぶち込んでやろうとしたもんですが、馬の腹の下を潜ったもんで」といえば、従者は「馬がびっくらこいて俺っちが振り落とされたもんで」という。
 火の様に赤い髪をした少女が、彼等三人のうちの誰でもない、刃物売りの中年女に首根っこを掴まれて暴れていた。
 そして、巻き上げる埃を払いもしないでヴィーオウルフは少女に近付いた。顔を上げさせると、くりくりとした二つの金色の瞳が彼を見上げた。少女は、少し上向き気味の鼻をふん、と鳴らし、吟遊詩人にこう言った。
「あんたの目、変わった色してるね。宝石屋の持ってる紫水晶みたいだ。あんたも嫌われ者なのかい?」
 すると、ヴィーオウルフは軽く瞬きをしてから、左の中指からエメラルドの指輪を抜き取った。
「これをやるから瓜など盗む必要もなかろう。女、放してやれ」
 少女は自由になると、掌の上の指輪を転がしながらニヤリ、と笑った。ヴィーオウルフは無表情のまま、歌うように言った。
「私の目がこんな色をしているのは、美しい物をただ、見るためさ。嬢ちゃん。物は人を選びはしないが、天命に逆らって物を手に入れる必要はない、ということだな」
 詩人はそのまま蒼馬に飛び乗り、王宮へと急いだ。
従者達は言ったものだ。「あんな腐れ餓鬼に施してあげなさるなんて、物好きにも程がある。カイラは貧民街じゃあ名うての盗っ人娘なのによ」
 異国の人間は、このエル・マイカの流儀を知らなくて困る、と。
 尤も、長年住処を持たぬ、かの吟遊詩人にとっては、己の利得になることのみを行うのが、彼の流儀であった。バンディスの提督の娘から貰ったエメラルドの指輪すら、薄汚い少女に与えても惜しい気はしないのだった。だが、これが何か得るところあっての所行であるとは、従者の誰も、いや都中の誰もが知る由もなかった。

 宿無しカイラは、何処ででも眠ることが出来る。その為に「宿無し」と呼ばれた。
 カイラの父親は、エル・マイカでは腕利きの鍛冶屋だが、仕事の工程の胡散臭いところや、彼が侏儒(こびと)であるところから、貧民街以外に仕事場を持てなかった。鍛冶屋のレム・バディムはそうして鉄材を仕入れに行った七年ほど前に、赤毛で金目の孤児を拾った。
 ダルボの鉱山街で工場が閉まった時刻に飲屋をうろついていて、娼館の手引きをしていたが、子供といってもせいぜい六、七歳で、侏儒の男には不憫に思えた。
 子供は「あチしは嫌われてすんだよ」と言ったが、何故孤児になっているのかもレム・バディムにはよく判った。金目だったからだ。
 太陽の国エル・マイカは、守護神の太陽と同じ色の瞳をした子供を憎む。双子も忌むべきものとされる。同形のものは国に争いを生じさせる根源を作り、明を暗に、善を悪に変えると信じられていたからだ。金目の子供や双子の片割れが孤児にまり、或いは間引きされるのは自然の成り行きだった。レム・バディムは言った。
「侏儒とて同じ異形の者。都へついてくるがよい」
 レム・バディムが家を空けることが多いためか、カイラは他の貧民街の子供たちと一緒にいつの頃からかチンケなぬ盗みの徒党を組んで動き回るようになった。それすらも、ごく自然なことといって良かったが、父親代わりのレム・バディムにとっては好ましいことではない。
 何と言っても、カイラはまだ少女なのだ。後宮に入ろうなどという下級貴族の娘ならば、可憐な靴を履き、舞踏会を夢見て稽古している筈の年頃だ。
 カイラはその晩、平たい床の上でエメラルドの指輪を眺めた。昼間それをくれた、背の高い銀髪と紫色の瞳をした旅人は、王宮の客人(まろうど)なのだ。一体、どのような異国の世界を見てきて、どのような話をするのだろう。
 宝石の静かな輝きを見詰めているだけで、少女の胸には行った事も無い異国の様子が膨らんだ。
 そして、どうにかして外の世界を見てみたいものだと思いながら、眠りについた。

 朝日がムルナの丘を照らす時刻には、ゼムダ王はお目覚めになる。
楽士たちの竪琴の音はそれよりも一刻前から始まるといわれている。吟遊詩人の訪問は大抵朝餉の後であったが、ヴィーオウルフは異例の時間帯で迎えられた。
 彼が大広間に通されると、楽士や宮女達、招かれた貴族達の間に溜息が漏れた。彼等でさえ身につけた事の無い鮮やかな綾絹のマントや、金鎖を巻いた頭布(ターバン)の美しさに目を奪われ、彼が立居振舞う度に漂う琥珀の香りに人々は、うっとりと目を閉じる。
 ゼムダ王は言った。
「貴公がアプラントの都の忘れ形見ならば、是非ともその歌声を我々エル・マイカの人間に聞かせて頂きたい。心和む水の都の古えの歌を」
 王のただ一人の、病弱の王子を除く王宮の中の人という人が集まり、皆が頷いた。
 そうしてヴィーオウルフは、アプラントの俗謡(バラッド)を七つ、タルカンダの湊で創った十四行詩(ソネット)を二つ、百行にも及ぶ脚韻詩を一篇歌った。
 それらの一句一句には、この世の万象の移り変わりが感じられ、人生のあらゆる出来事が描かれ、聴く者の心を揺さぶる言葉はなかった。皆が涙し、ヴィーオウルフを神の使いではないかと思った。
 ゼムダ王や王妃に混じって、これもまた啜り泣いていた年寄りの侍従が言った。
「長いこと涙したことのなかったこの老いぼれも、貴公の歌には感じさせられた。この国に何百と訪れた吟遊詩人の中で貴公は最も素晴らしい。・・・ああ、しかし貴公の歌で我が王、いや我がエル・マイカの民にも《歓喜》を与えてくれることは叶わぬだろうか?」
 ゼムダ王は静かに頷き、ヴィーオウルフはついた膝の間から貌を上げた。
「恐れながら申し上げます。《死》も《愛》も人々に涙という甘露を流させるもの。私は世界の方々、人の至る所にて如何様にも《死》と《愛》を見、歌にして参りました。人々は《死》には《生》を、《愛》には《憎》を想い、歓喜の声を私にもたらしてくれました。只今私が歌い上げました歌歌で、王をはじめ宮廷の騎士、貴婦人方に《歓喜》の念を満たして差し上げることが出来なかったとなれば、それは私の不徳のいたす所、なにとぞ御無礼をお許し願います」
 ゼムダ王は豊かな髭を撫でながら、顔色一つ変えることなく陳謝の意を述べる旅人にこう言った。
「五日間差し上げよう。今日から六日目の同じ時刻に我々の望む歌を歌って欲しい」と。
 ヴィーオウルフは思った。世の中には歓びに溢れる都、傷みにくれる都があり、過去にその貌を向ける街もあれば、現在を謳歌する街もある。この、自らの美を誇るエル・マイカは水底の沈鬱に耽る、まるで《生》も《死》もその裏打ちの感じられない都市のようだ。
 彼は酒場で一人キール酒を仰いでいる工夫風の男に尋ねた。
「エル・マイカにおける真の《歓喜》とは何ですか?」
 すると男は答えた。「都の城壁にゃ歓びを感じる術はあるまいよ。俺にとっちゃ、このキール酒がこうして毎晩ありがたく頂戴出来ることだ。あんたなら女を抱くことかい?」
 ヴィーオウルフは、その通りかも知れぬ、と言って酒場を出た。「しかし、この俺は《歓喜》を覚える魂すら持たぬのだ」と、ヴィーオウルフは呟くのだった。

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