●坂道●
暑い暑い夏休みが、始まったばかりのある日。
「………っ………坂が……どんどんキツくなってる………かもっ…!…って、いつもの事だ、けど…」
息をハァハァとはきながらも、自転車のペダルをこぎ続ける。
自転車のスピードはだんだん遅くなる。それも当たり前。
何故なら此処は、十二支高校の生徒の中でも有名な、かなりキツい坂道なのだ。
涼しげなワンピースに、コルクのサンダルを身に纏い
頬を真っ赤にして、猫湖 檜が自転車をこいでいる。
いつもやっている事だったが、何が目的でこんな事をしているのか、自分でも良く判らなくなってきた。
とりあえず判るのは、今 人に会えないくらい汗だくだという悲惨な事。
「………はぁっ………」
もう諦めて、押して行ってやろうかとも思った。
―――でも、ここで諦めたら、自分に甘すぎるかも…と思って、まだペダルをこぎ続ける。
行けども行けども坂の頂上は見えてこない。…これもいつも思うけれど。
足が疲れた。
……と言うより暑い。この暑さは何なんだろう?
イライラしながら、ぐいぐいと進んで行く。
チリリン♪チリリン♪
後ろから自転車のベルを鳴らしている人がいる。
【自分が後ろの人物の通行の邪魔をしているのかもしれない】
そう思って下を見てみる。
…別に真ん中に行き過ぎている訳ではないらしい。…ちゃんと端に寄っている。
・・・・・・・・・・?
ベルを鳴らされる理由なんてない筈なのに。
檜は、不思議に思って自転車を止める。
そして振り返ると、後ろ…と言うより下から、叫びながら自転車をこぐ人の姿が見えた。
暑さのあまり、何やらゆがんで見える。
「ちょ…ちょっと待って欲しいのだ―――――!!!!!」
後ろから聞こえた声は、聞き覚えのある声だった。
「はぁ……っ…ま、待って欲しいのだ…!」
近付いて来て、やっと判った。叫びながら走っていたのは3年生のエースピッチャー、鹿目筒良。
「せ……先輩…っ?」
鹿目はやっと追いついて、自転車に凭れて息を切らす。
「可愛い可愛いマネージャー猫湖さん★何処へ行くのだ?
偶然僕と同じ様な事してる人がいるな〜…と思って見てみたら、マネージャーさんだったのだ…驚いたのだ☆
ちなみに僕は坂の上まで行って、高速で坂道を下ろうと思ってるのだ★なかなかスカッとするのだvv」
キョトンとして檜は鹿目を眺めた。
「え…と…忘れかけてたけど…私も先輩と同じ…だったかも…!」
「おやや?!同じ?…あぁ…確かに高速で坂道を走り抜けるのは、誰にだって快感なのだ。
んじゃ、一緒に上がるのだ♪♪」
「あ…はい…;」
ここで【嫌です】なんて言える筈も無く、檜は【ハイ】と答えるしかなかった。
檜は鹿目の事を良く知らない。知ってるのはエースピッチャーだという事と、三象と仲が良い事、
子津に向かって【ピッチャーランク最下位】と言いまくっている…という事だけ。
…どちらかと言うと、少し苦手だと感じていた。
「猫湖さん、下の名前は何て言うのだ??教えて欲しいのだ♪」
ペダルをこぎながら話し掛けられた。正直に言えば、話している余裕など無かったが。
「あ、檜…。檜って言います、かも」
「ほほう♪檜ちゃん!…何だか可愛い名前なのだ★
…よし!僕が檜ちゃんと呼んで進ぜよう!宜しくなのだ!」
「は…はいっ…かも…」
ペダルの重さは変わらないというのに、横から人に話し掛けられている。普通に漕ぐよりパワーを使う。
坂道は、こういう所が嫌で嫌で。
なのに こんな苦労までして登るのは、後で快感が待っているから。
坂道を苦労して登って、登りきってから景色を眺めて休憩して。それからがお楽しみ。
ペダルから足を浮かして。
ブレーキに手をかけて、一気に高速で坂を下り切る!!――これに限る。
これをやると、ストレスが発散できて それでいて涼しくて かなり檜の中ではお薦めで、
今までは一人でこれを楽しんできた。…でも、今日は横に鹿目がいる。
いつも通り、ストレスが発散出来るのだろうか?
――と言うより、自分と同じ事を 鹿目もやっていたという事が、檜には意外で仕方なかった。
檜は一人でビクビクしていた。
そんな檜の横で、鹿目は颯爽と口笛を吹いている。
「檜ちゃん!檜ちゃんは、いつもコレやってるのだ???」
「…ストレスが溜まった時とかは…やります…かも」
「へ〜☆今まで逢わなかったのが不思議なのだ★う〜ん、今日の出会いは記念になるのだ★」
「き、記念?!ちょっと…大袈裟、かも;」
「先輩は…結構やってる方なんですか…?」
「よくぞ訊いてくれたのだ!!んも〜快感だからやりまくってるのだ!
…酷い時には、学校に行く前に涼しさを満喫したりするのだ♪」
「……え、そんなにも…ストレス溜まってるんですか…?」
「う〜ん、そんな深刻な事は無いのだ。よく言う【プチストレス】ってヤツを発散しに来るのだvv」
「【プチストレス】…?」
「3年生になって、色々と焦る事もあるのだ。…もうすぐ夏の大会だし」
「…あ…」
誰しも悩みを抱えていたり、ストレスが溜まっていたりする。
檜から見た鹿目には、そんな物等無い様に見えていたが 鹿目にもそういう物はあったのである。
「後輩が入ってくると焦るのだ…。エースピッチャーの座を いつ奪われるか判らないし。
…特に、今年はガングロ君や、ヘアバン君まで入って来て。焦りまくりなのだ」
「え、」
嘘だと、思った。
嘘だと 早々決めつけていた。
鹿目はいつも子津の事を、
【最下位】【ピッチャーランクビリ】等と言っていたから。
――焦るなんて事は、有り得ないと思っていた。
「引退までエースピッチャーの座は、渡さないつもりなのだ。でも万が一
…って事があったら大変なのだ!」
「…ですね…」
とうとう坂道の頂上が見えた。
ここまで来ると、もう自転車を押して上がってもいい位だった。
ここを登りきると、凄く良い眺めが二人を待っている。
いつもは檜一人とネコ神様と一緒に眺める景色なのだけれど。
今日は鹿目と一緒。
今日の景色は どう映るのだろう
…少し苦手な人と見る、素晴らしい景色。どう感じるのだろう?
そしてやっと頂上に到着。
キキッ……カラカラカラ〜…
自転車の車輪は、止めてもまだ回っている。 カラカラと音を立てながら回っている。
「…檜ちゃん!やっぱりココは良い眺めなのだv」
その時檜は、自転車の籠からネコ神様を出したところだった。
それからネコ神様を抱きしめて、言った。
「…そうですね…かも」
少し苦手な人と見る景色。
それはいつもと変わらず 綺麗だった。
苦手な人と見たって、景色は変わる筈は無いと思う。
一緒に見てる人がいるって事だけで、景色が変わったら面白い。
檜は高い所は苦手だったが、ここなら落ちないと判っているから平気だった。
鹿目は持参してきたポカリを勢い良く飲んでいる。
「檜ちゃん★そろそろやるのだ??」
「えっ…;」
「早いだろうけど…坂の下に着いたら、何か冷たい物でも奢ってあげるのだ♪」
「そんな…悪いです…かも」
「…? どうしてなのだ?んじゃ、割り勘にするのだvvサッサとやっちゃうのだ!!」
「鹿目先輩…;」
檜は完全に鹿目ペースに巻き込まれていた。
オドオドする檜の事など気にもせずに、鹿目は自転車のスタンドを下ろした。
それを見て檜も、しぶしぶネコ神様を籠の中に入れて、落ちない様に固定した。
鹿目は目を輝かせながらこう言った。
「………んじゃ〜行くのだっ!!発進!!阪神梅田行き特急Let's
Go!!!」
「て、鉄道マニ……ア…かも?!」
「ん?何か言った?」
「い、いえ…」
グッと、グリップを握る。
そして、思い切り地面を蹴って。
勿論足はペダルにつけたりなんかしない。
風がゴウゴウと体全体に当たって、髪の毛がバサバサとはためいた。
涼しくて気持ちがいい。
景色はみるみる流れて行った。
景色が速く動いているのではなく、自分達が速すぎる。それが気持ちよかった。
コレは1回やるとやめられなくて。この為に辛い坂道を登るのも、我慢出来るぐらい。
ゴウゴウと風が当たる中、人の声は殆ど聞こえないと言うのに。
鹿目は檜に話し掛けていた。
「檜ちゃ―――――ん!!!!」
風の音しか聞こえなかったけれど、檜には少しだけ鹿目の声が聞こえた。
煤uはっ………はいっ…!!?」
風の中、こんな声が聞こえた。
「…………っ…じ…実は……さっきの話には…続きがあるのだっ…!!!」
檜は、目を細めながら 進む。
「僕のプチストレスが溜まる理由………本当はもう1つ…あるのだ…―――――!!!」
煤u……?!」
「檜ちゃんの…目線の先……見てると…!!!」
「!!!!」
突然 自分の話が出て檜は驚いた。
「絶対決まった人物がいるのだ――――」
そこで鹿目がまた何か言いかけた時、更に強い風が吹いた。
何を言おうとしているのか、檜には全く判らない。
強い風の中、叫ぶ鹿目。
「いつも 檜ちゃんの視線の先が… っ …
… だからっ……そいつを見てるとっ ムカついてくるのだっ…!!!」
「し…鹿目先輩っ……!?何言ってるのか…判らないかも…―――!!!!!!!!!」
「だから…っ をいたぶりつけてやりたくなるのだ!!!!…でもっ…!!!
そうすると檜ちゃんに嫌われてしまうのだ ―――――っ …!!!!」
途切れ途切れにしか聞こえない。
ブレーキをかけても、やはり車輪は少しの間回り続ける。
カラカラと音を立てながら、段々とスピードが落ちて行く。
坂道が終わる。
二人の自転車が止まり、二人はスタンドを立てて、チェーンをかける。
檜はネコ神様を再び抱く。
「先輩、さっき…何仰ってたんですか?私…良く分からなかったです…かも」
「別に、大した事じゃないからいいのだv…それより、やっぱり気持ち良かったのだvvvねぇ?」
【大した事】ではないけれど、確かに【自分に関係のある事】だという事を檜は知っていた。
一度聞いてしまったので、凄く気になっていた。
「本当に良いんですか…;」
「いいのだいいのだ!!さっ!何か冷たいモノ食べるのだ〜v」
鹿目は笑顔でそう言って、前を向いた。
檜は不満そうな顔をして、それを眺めた。
前を向いてしまってから、少しだけ見えた鹿目の顔は 笑顔ではなかった。
少し苦手な人だけれど。
でも この鹿目の顔を見たら、檜はこう言うしかなかった。
「先輩…またプチストレスが溜まった時は、誘って欲しいです…かも…」
「おやや?嬉しい事を言ってくれるのだ〜★よろしくなのだv
…んじゃ、お言葉に甘えて これからは付き合って貰うとするのだv
檜ちゃん可愛いし優しいし、ホント嬉しいのだ★ ―――…じゃ、行くのだ!」
そう言って 鹿目は檜の、猫神様を抱いていない方の手をキュッと遠慮しがちに握って、歩き出した。
…あぁ、このヒトは、そういう人なのか。
檜は、さっきまで明るく喋っていたのに 手を繋ぐのには遠慮しがちな鹿目を見て、
【これで、子津チュの事を馬鹿にしなかったら…「ちょっと苦手な人」ではなかったかもしれない…】
などと、考えてしまうのであった。
鹿目が子津に【最下位】【ビリ】と言いまくる理由。
それは…檜の視線。
この事に気付かず檜は、子津の事を馬鹿にする鹿目の事をよくは思っていない。
鹿目が何故坂道を高速で下るのかも知らずに、まだ檜は子津を見つめ続ける。
こうして、何も発展しないまま 何も後退しないまま この関係は続いていく。
鹿目の精一杯の心の叫び、
しかと聞き届けたのは、
二人が下った坂道だけでした―――――。
●end●
2002年の春にUPしたものを、2003年の夏にリニューアルしたもの。
初版(刷ってないよ/笑)…檜ちゃん視点で進んでいってました。
改版…檜ちゃん視点では無くなった上に、結構台詞が変わりました。
あと、デザインも写真素材を使って背景色を白に。
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